HAIKU日本大賞2018秋の写真俳句 発表
2018秋の写真俳句大賞
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(評)詠み手の意図でしょうか。行くと別れの寂しさを詠った逢坂の関を思い起こさせ、明石の門が秋の深さと季節の妙を感じさせる手練れな俳句です。とはいえ、逢坂の関の寂しさにおさまらないのは、ライトアップされた明石大橋を写したことでしょうか。この明るさ、このまっすぐさが、これからの行く道を華々しく応援してくれているような、これぞ写真俳句という作品でしょう。
次点
(評)画家の本の上に宙を仰ぎながら物思いに浸る猫。いったい吾輩はいわし雲を見ながら何を考えているのか。それはモネが描いた風景でしょうか。それともルノワールやモディリアーニが描いた人でしょうか。画家たちもまた秋の空を見上げながら考え事をしたでしょう。それでは聞き手は何を考えようか、とこちらにまで波及してくる素敵な写真俳句です。
(評)詠み手は秋の暮れ、どんな会話を交わしたのでしょう。影が長く伸びるほど、飽きずに恋のときめきを通わせたのでしょうか。誰もが心の底に秘めている遠き日の恋を心の奥から取り出して、そっと甘い気持ちに浸りたくなってしまいそうですね。その時に交わした言葉の破片に今一度思いを寄せたくなるような、物語を感じる写真俳句です。
<秀逸賞>
陽だまりに見つけし君の笹竜胆
宮城県仙台市 小林恭士
(評)山野に自生する秋の代表的な花の一つ「笹竜胆」。秋も深まり周囲に花が少なくなった頃に可憐に咲きます。その季節感を感じさせる一枚です。薄紫色の花が哀感を誘います。「笹竜胆」を目にした喜びも二人の会話も感じ取れる微笑ましい写真俳句です。
朝顔やひとりゆうらり哲学す
宮城県仙台市 繁泉祐幸
(評)鴨長明の方丈記の序章に「この世の無常は、朝顔の露にことならず」とあります。長明は「朝顔」に命の儚さを見ました。「朝顔」を見て「ゆうらり哲学す」。作者も同じ心境でしょうか。それとも、哲学する朝顔の声を作者は聞いたのでしょうか。緑のグラデーションが美しく、蕾の瑞々しさが魅力の写真俳句です。
望月の滴る夜半ぞかえり待つ
宮城県仙台市 繁泉まれん
(評)「望月」は仲秋の名月のこと。海上にあり実に神秘的な美しさです。心情を吐露した俳句が、写真の幻想的な世界を深めます。悲しみを内包したようなジャパンブルーの空と海。ベートーベンのあの「月光」が聞こえてきそうです。
秋の山頬張る飯の旨きこと
茨城県水戸市 打越榮
(評)リズムよく実感のこもった一句が、写真と相まって作品の良さを高めています。幾分流れの速い川に、人の動きを入れた構図も見る人の目を楽しませてくれていいですね。「秋の山」の空気感が伝わってくるようです。
佐渡の秋海を染めゆく夕日かな
埼玉県川越市 涌井哲夫
(評)秋のせいか、夕日のせいか、物悲しげな日本海の落日。遠い昔に流罪とされた人々の悲哀を思わずにはいられない海の色です。「佐渡」により、写真の情景が深まりました。風格と趣のある写真俳句。
雨後の朝雫が満たす桔梗の喜
千葉県船橋市 花菜
(評)昨夜の雨で瑞々しさを増した「桔梗」の、まさに生命の喜びを切り取っています。その姿を素直に詠んで、花を通して湧き上がるイメージを俳句にしました。下五に「桔梗の喜」と置いて、リズムよく表現した一句。毎朝の移り変わりに、日々花とおしゃべりする作者が浮かびます。
膝の上昔話や秋の暮
東京都足立区 河野三男
(評)正座をしているのが語り部。聞き入る大人に交じっている幼児が主役です。囲炉裏を囲んだ景もあまり見られませんが親子同居が少なくなった今、大人の会合に連れてこられる幼児の姿も珍しい。変わってきた社会の在り方と家族の在り方。この一枚がとても貴重な写真に思えてなりません。
ぽつりぽつり白萩の咲く薄暮かな
東京都江戸川区 大舘圭子
(評)望遠レンズで捉えた「白萩」。絵画的な美の世界へと誘い込まれます。「ぽつりぽつり」という音の響きの心地よさが可憐に咲く「白萩」の姿を引き立てます。「薄暮」は日没後の黄昏を指します。「ぽつりぽつり」の措辞は暮れ時の表現にも取れますね。一日の穏やかな時間の流れを映し出した写真俳句です。
学校も役場も消えて蕎麦の花
東京都杉並区 新開裕
(評)変わっていく村の容に抵抗するかのように納められたふるさとの写真です。平成の大合併以降も続く市町村合併構想。メリットもあればデメリットも。係助詞「も」を有効に使い、優しい言葉で詠んだ愛情のこもった写真俳句です。山の天辺に咲く蕎麦の花に託された思いが人々の共感を生みます。
白い雲碧い空にもみじの木
東京都八王子市 河本敏和
(評)写っているものを並べただけに見える写真俳句ですが、その素っ気なさで充分に成り立つほどの秋の空気感が漂っています。作者を魅了した秋の山の風景を、存分に感じ取ることができます。
太古の気ふうっと吐けば外は秋
東京都町田市 渡辺理情
(評)鍾乳洞の中から写したのでしょうか。神秘的で不思議な感覚が漂います。それは、あたかも母親の羊水の中から外を窺っているかのような感覚。そんな緊張感ある写真と温かみのある句のバランスが絶妙で、作者の感性が存分に発揮されています。
荒ぶれる世界持ち去れ秋の空
神奈川県川崎市 事物
(評)古都奈良でのワンショットだそうです。写真も句もスケールの大きい写真俳句です。秋の空には珍しい何かの暗示とも取れるような複雑な雲の造形。逆光が写し出す塔のシルエットも効果的です。作者のインスピレーションが発揮され、オリジナリティに富んでいます。
月見上げ佇む影の儚さよ
神奈川県相模原市 碓井きょう香
(評)古賀メロディーが流れてきそうな写真俳句です。中七から下五の「佇む影の儚さよ」で古賀政男の世界へと引き込まれます。月を見上げて物思いに耽るかのようなシルエットが印象的ですね。俳句と相まって神秘的な影絵のような情景に、何とも物悲しげな作者の心情が読み取れます。
紅葉は私が先と橋威張る
神奈川県平塚市 八十日目
(評)山容と青い空を背景にした紅い陸橋が印象的な写真俳句です。遠山のうっすらとした冠雪が晩秋の空気を感じさせます。車を停めて山の彩りを楽しんでいるのは、何ともバランスの良い絶景が撮れる人気スポットなのでしょう。擬人法を用いた句が、写真にユーモアという彩りを添えた楽しい作品となっています。
紅葉狩川に葉落とす小さき手
神奈川県横浜市 稲畑実可子
(評)寄り添い合う家族と紅葉に触る「小さき手」が、日常の営みを超えて幸せを運んでくれます。雪解け水のある春の花筏と違い、雨の少ない晩秋は川の流れも枯れてしまっています。この一枚には、そうした季節感も盛り込まれています。寒い一日の散歩の途中、足を止めた親子のほのぼのとした姿が読者の心を温めてくれます。
朝日吸い一人前の紅葉かな
新潟県南魚沼郡 高橋凡夫
(評)鉢植えの紅葉が一生懸命に命を繋いでいます。小さくとも、その姿はれっきとした紅葉。与えられた光をただ受けるのではなく、生きようとするパワーを感じ取った作者。やさしい眼差しが作品に輝きを与えています。
とんぼ釣りとんぼ釣りして八十路まで
石川県金沢市 百遍写一句
(評)郷愁をそそるかのように林檎が秋の風情を伝えています。ズームアウトすれば広がるりんご畑に、故郷の景色を思い浮かべる読者も多いでしょう。しみじみとした語りのような一句はリフレインで軽快なテンポを出し、作者が大いに楽しんでいる様子を伝えます。
光失す釣瓶落としの投網の輪
岐阜県岐阜市 鈴木白湯
(評)後方に咲き、水面に映り込んだ曼珠沙華。漁師の一投の一瞬を見逃すまいとするその場の緊張と静寂が伝わってきます。偶然とは思えない投網のハート形を捉えられた幸運。中七の「釣瓶落とし」の季語も決まっています。作者は前回の写真俳句大賞・夏受賞者です。曼珠沙華の赤がインパクトある一枚になっています。
苔の道もみじのころもあでやかぞ
大阪府大阪市 翠花
(評)何ともいえない程美しい写真俳句です。今年は台風が多かったせいで葉の痛みが・・・との話がありましたが何のことはない。この溜息が出るような艶やかさは、千年以上も前から記されています。百人一首の猿丸大夫の作「奥山にもみぢふみ分け鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」。そんな頃にタイムスリップしたような風流な作品です。
稲架かけや家族の絆共にかけ
大阪府豊能郡 教野道雄
(評)ごく自然な写真の中に、家族の愛が滲み出ています。三世代総出の農作業ですね。黙々と作業を進める父。手際の良い若夫婦。その作業をじっと見つめる孫がいます。シャッターを切る家族にしか出せない味があります。「家族の絆」を捉えた絶好の秋日和の一枚です。
ライトアップ紅葉映えて暮れにけり
兵庫県加古川市 処一
(評)堂々とした見応えのある写真俳句。紅葉の中にくっきりと見える満月が印象的で、不思議な力を宿しているかのようです。昔ながらの美しい日本の秋の情趣を詠いました。美しさにハッとさせられます。
まだ生きて光浴びたし破れ蓮
兵庫県西宮市 幸野蒲公英
(評)「破れ蓮」の時期に、泥の下で蓮根は大いに成長しています。破れた葉とは対照的にエネルギーに満ちているのです。穏やかな光が不思議な印象を与えています。「破れ蓮」の独り言を耳にした空の彼方から幾筋もの陽が差し込んでいます。新たなる力が注ぎ込まれたかのようで神秘的な情景に思えます。
その昔賢治遊びし秋の宿
奈良県奈良市 堀ノ内和夫
(評)宮沢賢治の故郷は岩手県花巻市。写真は、東北の短い秋の景です。宿の歴史を物語る萱葺屋根は風情があり、旅人の冷えた身体を温めてくれる窓の明かりが嬉しい。賢治もかつてはこの写真の中にいただろうと思わせる情景で、宿と紅葉を捉えた写真俳句に懐かしいシーンが蘇ります。
枝舞台赤と緑が揺蕩うと
和歌山県橋本市 徳永康人
(評)日本ならではの秋の情趣を捉えました。揺れ動くさまを言い表した「揺蕩う」が写真に風雅さを添え、深まりゆく秋の美しさを印象付けています。季語のない俳句ですが、秋の漂う「枝舞台」です。
老いて尚生くるを学ぶ紅葉忌
広島県福山市 大原ちか子
(評)「紅葉忌」は「金色夜叉」を書いた明治の文豪・尾崎紅葉の忌日。俳人でもあり「モルヒネも利かで悲しき秋の夜や」の凄みのある俳句を残しています。掲句の「老いて尚生くるを学ぶ」は、人生の終活期を迎えた想いを情景に重ねているのか作者の心情が窺えます。
松江城色変えぬ松伯耆富士
広島県福山市 霧雨拓真
(評)「伯耆富士」は鳥取県にある中国地方の最高峰・大山のこと。「伯耆富士」が望める松江城からの展望を捉えました。周囲が紅葉していくなか、色を変えず美しい緑のままの松と遠くに見える「伯耆富士」を共に詠んだ一句。季語は「色変えぬ松」で晩秋。松の性質を賞した作者の心が表わす堂々たる写真俳句です。
ケンチョピアマストに絡まる今日の月
徳島県徳島市 大久保せな
(評)徳島県庁に面する川沿いには、多くのヨットが停泊し「ケンチョピア」と呼ばれています。季語は「今日の月」で十五夜のこと。見事な月が捉えられています。中七の「マストに絡まる」のユーモアのある措辞と「ケンチョピア」の軽快な響きが、雅楽など聴きながら愛でる月とは違った現代的な親しみのある月にしてしまいました。
※俳号で応募された方は、原則として俳号で掲載させて頂いております。