HAIKU日本大賞2016秋の写真俳句 発表

2016秋の写真俳句大賞発表

彼方から友の呼び声秋ざくら

[ 三重県津市 青野誠也 ]

(評)コスモスにかかる影が「彼方の友」を感じさせ、俳句と写真が引き立てあう良い作品です。「彼方」はどこにあるのでしょう。声は誰に届いているのでしょうか。それとも、写真撮影に夢中になるうちにおいて行かれてしまったのかもしれません。物語が見えてくるようです。影だけがそれを教えてくれるという趣向に切なさを覚えました。

次点

蕎麦の花母の記憶は山里に

[ 岩手県一関市 山下暮朝 ]

(評)車窓からの風景ですね。手前の蕎麦の花が大きく見え、奥は風景と共に流されています。日本人であれば、おおかたの人が山里の風景に故郷や懐かしさを感じます。あるいはこうして山里に入り、日常の外にあるものに触れると、今はなきものを省みるのではないでしょうか。作者は、この風景と「母の記憶」という言葉の中にどのような思い出を込めたのか、それをうかがい知りたくなる叙情的な作品です。

<秀逸賞>

棚田の秋手の跡入る鎌の音

青森県十和田市 泉良文

(評)写真は老婦人が刈った稲を束ねていく姿。遠くに連座する山々が、狭い田での収穫を見守っています。使い慣れたであろう鎌には、「手の跡」がくっきり。棚田の上空に「鎌の音」が響きます。昔ながらの日本の山里の景。残しておきたいシーンです。

引力に逆らう空や鰯雲

山形県酒田市 長田昇

(評)小さな雲片が上空に向かって連なっている鰯雲。その広がりが「引力に逆らう」ように作者には見えたのです。鰯雲を見上げた瞬間に感じたことを書き記した一句。力強い表現です。

映したる空より蒼し秋の水

茨城県常陸大宮市 細貝雅之

(評)「秋の水」は、秋になって澄み渡る水のことを言います。澄んだ心やそうした心境を表わすという意味も持たせた季語です。「空より蒼し」と迷うことなく断定した強い俳句になっています。「秋の水」に鑑賞の翼を広げられ、妙に説得力のある句となっています。

ふるさとのお盆に遅れ帰る人

群馬県桐生市 大木茂

(評)お盆には、離れていた家族が帰省して集い、先祖を偲びます。そんな大切な「お盆」という日に、都会から遅れて帰ってしまった人。平凡手に見えて、なかなか味のある一句。遅れてもこの句に暗さはありません。ふるさとは暖かく迎えてくれています。芒原へ差し込んでくる一条の光が印象的。

耳の底に「シーン」残れり秋の庭

東京都町田市 渡辺理情

(評)庭木が色付き始め、日差しにも柔らかさを感じる「秋の庭」。名刹の庭を思わせる趣のある写真俳句です。「シーン」によって、この空間の荘厳さが深まります。古きものへの郷愁と相まって、何とも言えない雰囲気を醸し出しています。

錦秋の山に囲まれ鐘澄みぬ

神奈川県平塚市 八十日目

(評)錦織りなす山々とは、まさにこの写真のことを言うのでしょう。日本のこうした自然美が、日本人の豊かな心や情緒を育むのだと思います。鐘も、空気も、作者の足音さえもすべてが澄んでいます。

裾捌く音のかそけき秋日和

石川県金沢市 酒井和平

(評)「かそけき」は、音が薄れ、消えていくような様。秋の日差しを跳ね返す真っ白な日傘。まだ、残暑といったところでしょうか。硝子越しの焼き物は、九谷焼でしょう。店先を行く着物の女性。木々の陰影も美しい優美な写真俳句。

荒磯に生きよと歌う白すすき

福井県福井市 上原梨花

(評)人生は「荒磯」のようで平坦な道ではありませんが、しっかり「生きよ」という自分自身へのエール。すすきは、花すすきでもなく、金でも銀でもありません。原点に戻すという意味で「白すすき」。作者の強い意志が感じられます。

村中の跡取り集め秋祭

長野県伊那市 溝口祐子

(評)「村中の」にこの村で生きる作者の姿勢がよく表現されています。村を大切に思う心が、しっかりと句に込められました。村の跡取りたちの後ろ姿には迫力があります。逞しい男たちが祭りを盛り立てている写真俳句です。跡取りの雄姿をさりげなく追う母の愛情が読み取れます。

キュキュキュきゆきゆ檸檬をしぼる掌

岐阜県飛騨市 松下健介

(評)上五を片仮名、平仮名と続けた定形句。拗音をうまく繋いだ表記の妙があります。リズミカルな生活詠です。檸檬を絞る手に魅かれて詠んだ句のようで微笑ましい。「掌」(たなごころ)で決まっています。

今ならば虫になりたし草の中

兵庫県西宮市 幸野蒲公英

(評)色鮮やかなコスモス。しかし、作者はそれを詠んではいません。コスモスの中に遊んでいる虫たちを羨ましく思っています。蒲公英さんは一段と腕を上げられました。四季折々の花も色んな見方ができます。小さな虫になって遊んでみたいという作者の無邪気さがとても素敵だと思います。

稲穂干す先祖の知恵に感謝して

奈良県奈良市 堀ノ内和夫

(評)日本の農業は、弥生時代に稲作が行なわれるようになり、今日まで綿々と続いています。人は豊作を祈り、収穫の喜びに感謝しました。澄んだ空の下、また今年も収穫の時を迎えます。変わらないことが、平和の証であるということを知らされる作品です。作者は前回冬の写真俳句大賞受賞者です。

サーカス団去るや背高泡立草

山口県下関市 坂東洋三

(評)時間の経過があって、そこに背高泡立草。背高泡立草は、陣取り合戦を繰り広げている芒と比べて嫌われものですが、花粉症の原因とはならないそうです。すっくと立った姿は、サーカス団去りし跡を見つめる人影のよう。絶妙の取り合わせです。

銃を置けこれより案山子の王国ぞ

徳島県徳島市 山之口卜一

(評)ここにあるのは、「案山子の王国」。日本の農村の平和な暮らしがあります。今風の案山子はふくよかで、遠目には人だかどうか判らないものもあります。こんな愛らしい王国ならば、しばし銃を置いて秋のひと日を満喫したいもの。いつまでも、守っていきたい日本の原風景です。

秋光や色々あってここに居る

徳島県徳島市 今比古

(評)「秋光」には移ろいの趣もありますが、この句の場合は秋の明るい外光と捉えます。この朝顔は置かれた出窓で、「秋光」に背を向けています。カフェの一隅で、一人佇む作者。哀調に満ちた写真俳句です。この場所で鉢植えとなる運命の朝顔と人生とが重ね合わさって深みのある一句となりました。

無骨とはうちの山から来た秋果

徳島県徳島市 今比古

(評)無骨なものが、だんだん少なくなってきました。酢橘、柚子、オクラ・・・。豊かな秋を実感させてくれます。作者が丹精込めて育てたものでしょう。みんな、テーブルに置かれ嬉しそうです。存在感があります。「今比古」風俳句は、独自な世界観を醸し出します。

着替えたか紅葉衣をまとう木々

徳島県徳島市 勝野楓香

(評)秋が深まるにつれ、山の粧いを日々楽しめるのがこの季節。あまりの美しさに、木々に語りかける作者の素直で優しい人柄が伝わって来ます。落ち着いた作風ですが、作者は高校一年生。これからも、日本の四季の恵みを大切にしながら、俳句を詠んでください。

水に落つ紅葉それでも美をまとう

徳島県徳島市 勝野萌菜

(評)水に落ちた紅葉と水面を覆うような紅葉。その美しさが写真と俳句によって見事に捉えられました。美しいものはどこまでも美しい。納得の写真俳句です。作者、萌菜さんは中学生。すでに俳人の眼を持っています。

薄越しこれが見たくて山ガール

徳島県板野郡 木下米子

(評)「山ガール」の響きが心地良い。写真は色のコントラストが素晴らしい一枚。金色に輝く薄があるから、遠くの山が活きてきます。遠い山は空と混じり合います。この絶景を詠んだ作者の感動が、ひしと伝わります。珠玉の一句。

秋の日に子に踏まれしも負けぬ銀杏

香川県善通寺市 片岡茉莉亜

(評)写真の中に姿はなくとも、親子の笑顔や歓声が浮かんでくる微笑ましい写真俳句。下五は一音多い破調句ながら、季語を大きく「秋の日に」としてまとまっています。

失恋の数数えたり十三夜

長崎県長崎市 堀祐司

(評)失恋は、恋をしたからあるものですね。失恋も人生の大切な思い出です。「十三夜」という、数字の入った下五が効いています。まだ膨らみきっていない月を愛で、過ぎゆく秋を惜しんでいます。

※俳号で応募された方は、原則として俳号で掲載させて頂いております。

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