HAIKU日本2023冬の句大賞
特選
(評)核ミサイルまで搭載できる原子力潜水艦。現在ではアメリカなど6か国が、核ミサイル搭載の原子力潜水艦を戦略核として持つようになっています。何とも物騒な世の中を「冬の海の黙」として詠んだ社会詠の秀吟。原潜は原子力によって駆動し、潜航は半永久的に可能だとされています。「孵化」は生物の卵がかえることを言いますが、孵化するかのごとく日本の海域にやってきたのか。作者の怖さや不気味さの心情、今の世情を憂える気持ちが強く伝わってきます。
(評)一気に読み上げた個性豊かな詠みが、散る「山茶花」を強く印象付けています。説得力のある美しい情景が詠まれ、散る花の緊迫感が伝わってくる作品です。「山茶花」の花は、花首から落ちる椿とは違って、ひとひらひとひら舞い散ります。副詞「とめどなく」が、その様を言い当てており、独特の言い回しに作者の優れた詩心が感じられます。
準特選
(評)「初御空」は初めて明けた元日の大空を言います。厳かな気分の中で仰ぐ空には、いつもと違う感慨があります。誰しもが良き年であるように願うものですが、掲句は「余生の夢を」に余情と余韻が込められています。まさに、一年の計は元旦にありです。力強く「けり」で言い切った一句は、新春に相応しいのびのびと明るい秀句です。
(評)「龍の玉」は、常緑の多年草「ジャノヒゲ」の実のこと。細長い葉が蛇や龍の髭に見えることから付いた名です。冬と共に実が熟して瑠璃色の光沢のある玉となります。地面を覆って茂る葉に、隠れるように実を付ける「龍の玉」の瑠璃色はまるで涙のようです。薄く感じられた夫の掌の感覚が伝わってきて、「握れば薄し」の措辞が何とも悲しみを引き寄せる一句。夫への愛情が深く感じられます。
(評)玉子かけご飯は日本中の人気の食べ物の一つです。白いご飯に玉子の黄身を落とし込む瞬間の擬音語「パキリ」が、効果を発揮した一句。何気なく聞いている音を実際に言葉で表現するのは容易ではありません。誰もが言葉にしてこなかった音を詠み、それを万人に納得させてしまう秀句。「パキリ」の冴えた音からは早朝の静けさや冷ややかな空気感が伝わります。冬の一日の始まりの作者の心をも表出しています。
秀逸句
(評)師走の声を聞いた途端に、年末に向けての準備が始まります。初めは気持ちに余裕がありますが、だんだん焦りとなり、大晦日に向けてのカウントダウンが始まります。街の人々が、みんな急ぎ足に感じた作者。しかも、不思議とも感じ取れるくらいに足並みが揃っています。そんな間合いを句に仕立て上げた感性は見事で、臨場感に富む俳句となっています。
(評)作者の目にとまった「冬の蝶」は、「銀座並木」に触れるように舞いつつ去って行ったのか。銀座並木の「さざめき」の中へと。「冬の蝶」は、“夜の蝶”とも掛け合わせた措辞とも言えるのかもしれません。「冬の蝶」は力もすっかり衰え弱々しい姿なのでしょう。銀座というきらびやかな街との対比で、さらに切ない気持ちになります。
(評)「切り株」から咲いた「返り花」。本来咲く春ではなく、初冬に咲くのが「返り花」です。小春日和に誘われて思い出したようにほっと咲きます。中七の「これ見よがし」が俗っぽくて逆に味わいがあります。思いがけなく咲いた健気な花を見ながら、自然の力は人知を越え、自然に教えられることがたくさんあるのだと感じます。
(評)「山茶花」の咲く窓辺に、「亡き人の椅子そのままに」。山茶花という馴染みの深い花と「椅子」の取り合わせが、作者の今の心情をくっきりと浮かび上がらせています。感情を露わにせず目の前の状況を綴ることで、尚更深い悲しみが伝わってきます。生前の姿、そして思い出のすべてを季語「山茶花」に託した秀句。
(評)九音、八音と詠んで、その深層心理に近付いていく破調の一句。「ならぬこと」とは、いったいどんな事なのでしょうか。読者は考え込まざるを得ない巧みな一句。意味深な内容に対して「たかが」が安心感を届けてくれています。中七の途中で大きく切れる「ならぬ」の間がよく効いており、「冬帽子」の季語が印象深い俳句です。
(評)まるで歌謡曲のような出だしを、上手く一句に纏め上げた手腕は中々のものです。「返り花」は初冬の暖かい日が続く頃、春に咲き終わった草木が再び季節外れの花を咲かせることを言います。島国の日本には港を中心に栄えた都市が数多くあります。どの港にも華やかな歴史があり、上五に置いた「港町」には作者の懐旧の想いが込められています。一輪の可憐な花が殊更、昔を懐かしく思い出させたのでしょう。
(評)街のお風呂屋さんでの何気ない会話の様子が、温かく身近に聞こえくるようです。俳句は楽しい庶民の詩です。人情味豊かな会話が一句となりました。虚子は「日常生活のどこにも季題はある」と言っています。素直な表現と口語俳句の良さが、余情さえも読者に与えてくれます。番台の主人との人情味溢れる場面が想像される一句です。
(評)長い間会うことはなく、年賀状だけのお付き合いの人も多いものです。自然体の日常詠が心に残ります。「年賀書く」と動作を上五に置くことで、その時間を大切にする作者の心が伝わってきます。友と過ごした尊い時間がゆったりと流れています。受け取った友も懐かしむ気持ちは、きっと同じことでしょう。
(評)冬の初めは珍しいながらも蝶に出合うことはありますが、本格的な寒さがやってくると、それもほとんど無くなります。それもそのはず、もう飛べないのです。「凍蝶」は寒さに凍えてしまったかのように、じっと動かずにいる蝶のこと。「ハマ」によって横浜の生活や人情までが偲ばれ、「薄日」だからこその優しい情景に、凍蝶に寄り添うかのような場面が浮かびます。
(評)北国に住む作者の言葉が重みをもつ一句。覚悟を決めて冬支度を始めた作者の心の芯まで震わせるかの如き「虎落笛(もがりぶえ)」。虎落笛は竹を組んだ柵や垣根に強風が吹きつけ、笛のような音を発することで付いた名。冬支度で窓を打ち付ける音と、風でヒューヒュー鳴る音を同時に詠んで、雪国に暮らす人々にとっての厳しい冬の実感を伝えています。
(評)このシーンを想像してみると、この女性は露天風呂に入っていて桶酒などを静かに楽しんでいるかのよう。「白き肌」がいかにも官能的です。秋の月ならば心ゆくまで酔うひとときですが、冬の月となるとそういうわけにはいきません。「寒月」には研ぎ澄まされたような美しさがあって、緊張感が付き纏うのでしょう。どこか寒月に邪魔されたような一夜に、「白き肌」の措辞が読者の想像力を掻き立てる一句です。
(評)「初電話」は新年になって、初めて電話で話すことを言います。上五で一気に読者を引き付けるインパクトのある一句。友との「初電話」での優しいやり取りが思い浮かびます。「難病の友」を作者は、いつも案じていたのでしょう。メールと違って電話では「生きてます」の一言もそのトーンによって、受け止め方が異なってくるものです。友の声の様子に作者は、きっと心から安堵したことでしょう。文字だけでは分からない空気感が「初電話」から伝わってきます。
(評)平仮名の「ふるさと」や、ゆうゆうと泳ぐ姿を連想させる「クジラ」は片仮名と、春の穏やかな雰囲気が表記からも伝わってきます。巧みな表記と切れによって、作者の俳句の世界が美しく広がります。「小春」は立冬を過ぎてからの春に似た晴天の日を言います。作者の懐かしい「ふるさと」への思いをしみじみと感じさせます。
(評)無常とは、一切のものは生じたり変化したり滅したりして、一定ではないことをいう仏教の教えです。生涯変化して移り変わり、同じ状態に留まらないことですが、雪は変わらずただ海に消えてしまっていると作者は言います。雪は自然美の極地の一つで、俳人の好むところです。雪が海に消えるだけという光景は、淋しさと空しさを読者の心に響かせます。反実仮想的な中七の措辞が心に沁みる秀吟と言えます。
(評)日本一高い高層ビルと謳われ早九年の「あべのハルカス」。シンボルタワーも虹に「傅く(かしずく)」という作者独特の視点が冴えています。傅くように聳え立つ高層ビルと「冬虹」の取り合わせは壮大な空間です。助詞「よ」が、何とも雄大な景色の中の感慨を見事に収め切っています。大阪人の心そのもののような一句は、スケールの大きさが魅力です。
(評)新年の季語「楪(ゆずりは)」は、春にかけて新葉が生長した後に古い葉が落ちることから、成長した子に跡を譲る子孫繁栄の縁起物として、古くから正月飾りに用いられてきました。母から娘へと受け継がれてきた着物の数々。自分以外もう誰も着る人はいないと思い込んでいる作者の心を、下五の言い切りが尚更淋しく思わせます。上五の詠嘆の優しい響きと措辞の強さが、一句に入り混じることで複雑な心模様も見えてきます。
(評)死が突然のこと故、投函した年賀状が元旦、相手先に届くということがあります。作者の一句もそうなのか、あるいは姉弟共に親しくしていた間柄で、今も変わらず年始のご挨拶が届くということなのでしょうか。下五を詠嘆の助詞「かな」で終えることで、「賀状」に対するしみじみとした思いが読み取れ、姉としての思いも推し量ることができます。
(評)「きらきら」のオノマトペが一句を際立たせています。玄関先や鬼門にも植えられることの多い「花柊」。郷里の家にもあったのでしょう。初冬に白い小花をたくさん付け甘い香りを漂わせます。懐かしい風景が、きらきらとこぼれるように蘇ってきたという作者。花びらを地にこぼす趣のある風景も見せてくれています。
(評)鎌倉を象徴する神社である鶴岡八幡宮には、“源平池”と呼ばれる池があり、東を“源氏池”、西を“平家池”と言います。厳冬の中、生命力を吹き込んでひと花ひと花を咲かせる「寒梅」。気品があり、芳しい香りも届いてきそうです。少しずつ開いていく様を「ほつほつ」のオノマトペが上手く言い表しています。
(評)「言の葉」と言わず、「言と葉(こととは)」と一工夫されたところに興味を覚えた作品です。また、下五の「進路きく」が絶妙です。「言と葉かき混ぜ」と敢えて字余りにして、ゆっくりと優しく聞いたのであろうと推察できます。視線を合わさぬようにして、鍋の野菜をかき混ぜながら。そんな場面が心を揺るがせます。相手の気持ちに寄り添った一語一語に味のある秀句です。
(評)「老妓(ろうぎ)」は年配の芸妓さん。季語「黒ショール」が仕事のはねた「老妓」の姿を何とも艶っぽく演出し、心に深く沁み込んできます。防寒ではなく、むしろお洒落な趣きが漂う道具立てとなっています。花街の夜のワンシーンを、まさにドラマのように見事に描き出した一句には、作者の句作に対する力量を感じ取ることができます。
(評)冬の星はいずれも魅力的で、冬の冷え切った大気にあっては、どの季節よりも美しく見えます。冬銀河の東南には、三ツ星のオリオンが鮮やかに浮かんでいるのでしょう。オリオンを眺めながら、今を時めく音楽家・米津玄師の「orion」を聴くとは、最高にロマンティックな若さ溢れる一句です。十七音の詩の中に好きなワードが散りばめられた一句は、作者の世界観に満ち溢れています。
(評)あまりの寒気に凍り付くこと、あるいは凍り付きそうなことを言うのが冬の季語「凍てる(いてる)」。そんな「凍てる夜」のこと。人を待っているのか、孤独な時間は長く感じられ、寂しさも増してきます。背中に伝わるその明るいショーウインドーの温もりがどれ程、作者の慰めになったことでしょう。感情を入れずに、行動のみを示すことで読者の鑑賞の幅は広がり、作者の思いに寄り添っていけます。
(評)「初乗り」の緊張感と興奮が伝わってきて、作者のワクワク感が読者を楽しくさせてくれます。旅は計画を立てる時点から始まっていて、行き先を選び旅先で何に興じるのか、食は何を楽しむのか、もうすでに十分旅をしているのです。作者の決めた「夜汽車」は西に向かうのか、東に向かうのか。夜汽車がロマンティックな旅情を醸し出した一句です。
(評)頭を垂れて風に揺れる姿を素直に叙述しています。妙な技巧を凝らすことなく、自然と零れ出たような一句が詩情を誘います。「水仙花」は冬の季語ですが、この花が咲き始めると春の近さを感じさせてくれます。寒風に咲く水仙の、か弱いながらも一途な姿が見えてきます。
(評)この様な発想の句を詠むことの出来る作者の感性に驚きます。一句には暖かみのあるユーモアが宿っており、思わず笑ってしまいそうです。季語「冬日」は冬の太陽。寒い季節の中、その日差しを詠むとき、人は束の間の安らぎを覚えるのかもしれません。「冬日」と「初恋の人」との取り合わせに妙味があって、あの甘酸っぱい気持ちを思い出させます。「冬日」が柔らかく作者を包み込んだことでしょう。
(評)コロナ禍も収まりつつある中、やっと一族が一堂に集った今年のお正月だったのでしょう。人生百年の時代、四世代揃っての集合写真も珍しくありません。「初写真」には、充実したひと時が凝縮されていて、孫やひ孫たちの元気な声も飛び交ったことでしょう。心温まる会心の作。先祖から続いてきた系譜の中にあって、いま存在する一族が一枚の写真に納まる晴れやかな場面の一句には、新春の目出度さが溢れています。
(評)新年の季語に「初御空」があり元日の大空を言います。天を崇める気持ちが込められています。その空を作者は「初美空」と詠んでいます。元日の美しい空の中、いつもと変わらない鳴き声で鴉が飛んでいく様が浮かびます。同じ音でも、元日の空が晴天に恵まれたことを喜んでいるように思えます。「鴉は同じ声で鳴く」と詠み、素直な措辞を続けたのが作者の力量でしょう。
佳作
(評)クリスマス・イブに催される音楽会の楽屋における一齣を静かに書き留めた作品です。クリスマス・イブで賑わう街の交通を抜けて、会場の楽屋に無事チェロを運び入れた安堵感が、抑制の効いた表現で描写されています。この後、楽屋では舞台用の衣装に着替えたり、髪型を整えたりされるのでしょう。本番に向けて、チェロのチューニングもしなければなりません。楽屋に到着してから、音楽会の幕が開くまでにすることはいくつもあるのでしょう。聴衆に最高の演奏を届けて聖夜のかけがえのない思い出になるよう、練習を重ねてきたことと思います。聖夜を演出する舞台裏に注目して作品化した秀吟です。