HAIKU日本2022夏の句大賞
特選
(評)「旱星」は炎天続きの夏空に赤々と見える星です。深刻な出来事を敢えて重く詠まずに、警鐘を鳴らしてくれているように思えます。明智小五郎に加勢する少年探偵団のような話に、季語「旱星」が実に効果的です。誘拐は世界中に存在し、現代社会の闇とも言われます。夜空の赤と飴との対比が鮮明で、作者の非凡さを知らしめます。赤い飴が想像でき、赤が危険なイメージの色として読後のインパクトを強めています。
(評)友人との別れを詠んだ一句には、深い情愛が滲み出ています。上五を「お気に入りの」と六音にした理由。友人と作者の間で交わされてきた言葉の中で、「お気に入り」が最も相応しかったのでしょう。情の細かい男気が感じられ、優しさに溢れていて胸にジーンと伝わります。心情を露わにせず、控えめな表現に一層心惹かれます。「アロハ」に託した作者の想いに、省略の文芸である俳句の原点を見た気がします。
準特選
(評)「南無三」は南無三宝の略で、仏・法・僧の三宝に帰依すること。感動詞的に、驚いたり失敗したりしたときにも発します。名詞と助詞のみで詠んだ一句。漢字、ひらがな、カタカナにアルファベットまで登場させて賑やかに詠まれ、視覚からも取り合わせの妙があり、ドキドキする様子を窺い知ることができます。一瞬の状況を明快に十七音に仕立て、気迫と緊張感が感じられます。
(評)ここ数年人気が高まっている「キャンプ」。キャンプ場で知らぬ者同士が仲良くなって、再会しようということもよくあることでしょう。大自然の中にあっては、人は皆、素直になれるようです。炎を囲んで集う人たちの楽しげな表情が見えるようで、キャンプ地ならではの解放感が詰まっています。人生は一期一会の連続で、キャンプが出会いの絆を深めてくれます。
(評)「分水嶺」は、降った雨水が異なった水系に流れる境界を成す山脈のこと。転じて、物事の方向性が決まる分かれ目をも言います。「十八歳」と「分水嶺」を繋ぎ合わせることで、将来の方向性を決める色々な分かれ道が浮かび上がります。「薫風や」で迷いなく切って、十八歳の明るい未来へと繋がっているかのようです。若葉の香りを運んでくる風が、さわやかなエールに感じられます。
秀逸句
(評)流れるようなリズムの俳句。渓流沿いの観音巡りとは、いかにも涼しげです。その上に「川蜻蛉」が、心地よささえ感じさせてくれます。「川蜻蛉」は名前の通り川縁に棲み、糸蜻蛉と似ていますが体形は少し大きく五センチ程あります。厳しい夏の巡礼の中、清流に見つけた川蜻蛉に、どれ程心を癒やされたことでしょう。
(評)病窓から眺める「雲の峰」は少しずつ形を変えても、崩れることなく夏の空に存在しています。ムクムクと立つ雲を雄渾な調べでダイナミックに捉えています。退院の日を心待ちにしながら、日に何度も窓の外を眺めて過ごす作者の心情を推し量ることができます。
(評)噴水に多くの人々が集まり、水遊びの絶好の場所となっているのでしょう。子どもたちはそれぞれの表情を見せています。一人一人の可愛い表情が切り取られています。「子」を並列させることで、一定のリズムを生み出し、リフレインの軽快さが一句に流れています。観察眼のよく効いた、写実の的確さに秀でた作品となっています。
(評)「広ぐる」はガ行下二段活用の他動詞です。作者は“車窓に広がる”ではなく“車窓を広げる”と詠んでいます。「江ノ電」に乗った人ならその情景が思い出され、まるで、車窓を広げたかのように感じた作者に、共鳴する読者も多いことでしょう。軒先を掠めるように走り抜けたかと思うと、突然展ける湘南の海。その開放感は、驚きと喜びが一緒に押し寄せてくる感動を与えてくれます。
(評)真夏のギラギラとした太陽の下、目にした錆に蘇った遠い日の記憶。幼い頃、一生懸命に「逆上がり」の練習をした日々は、誰もが経験したことでしょう。逆上がりが初めて出来た時の誇らしげな気持ちが、錆の感覚や匂いによって蘇るという深い味わいがあります。過去へと誘うノスタルジア感に富む作品です。
(評)季語「朝曇」は、夏の朝特有の靄がかかったような空模様を言います。“旱の朝曇り”の言葉があるように、特に炎暑の日が続くと一層どんよりとします。五感を研ぎ澄ましながら、大自然の大らかな活力の中に踏み出す朝。真夏の地上を逃れて、富士へと向かう心地よさと喜びが伝わってきます。
(評)ピアスに微熱を感じるという、女性ならではの「夏の果」を表わした一句。ピアスに象徴性を持たせて成功しています。夏もいよいよ終わりに近づいたある日の出来事。この日は、ピアスが特別の意味を持ったらしい。恋の火照りの微熱でしょうか。ときめきが冷めていくような「夏の果」。情熱的だった夏の終わりの作者の心情が垣間見えるようです。
(評)「蝉時雨」も心地よい程度のものなら良いものの、けたたましく鳴く時の蝉たちは一体全体何事かと思うことがあります。誰にも経験のあることですが、それを作者は「太い柱」と表現し、言い得て妙。最初は小さな集団の蝉時雨が、大音量となっていくのを見事に具象化した会心の作と言えるでしょう。
(評)「合歓の花」は、枝先に長い雄しべを持つ花が集まって咲きます。その姿は繊細で、ふんわりとした薄紅色です。夜になるとゆっくりと葉を閉じ、眠りにつくように思えることから、その名が付きました。何ともゆかしい作品です。川辺に立つ合歓の花が、読者の心を癒やしてくれる夏らしい一句。
(評)季語となっている「西日」は、夏の暑さがいつまでも衰えない夕方に射す光のこと。可愛がっていたペットのことを忘れられずに、物悲しさを感じている様子が想像できます。ペットの死に対する作者の優しさが、身に染みるような一句です。人と動物との深い関わり合いの中で、切ない人生の一コマが切り取られています。
(評)ワインやウイスキーの瓶の中に、帆船などの模型を飾った「ボトルシップ」。船員が長い航海の合間に作ったのが始まりだそうです。季語「夏めく」が措辞の気分とよく似合っていて、ボトルシップの帆船にも風が通っているように感じさせます。初夏の爽やかな気分を感じさせてくれる俳句で、視点と感性の良さが光ります。
(評)「夏雲」は多種多様です。作者の見た雲はどのようなものだったのでしょう。「夏雲の告ぐ」と中七の途中に大きく切れを入れて、名詞止めの「展開図」が想像を膨らませます。夏雲が教示するのは洋々たる未来なのでしょう。「未来への展開図」の詠みには、幸せな展開になる希望が込められているかのようです。
(評)「半夏生」は、二十四節気以外の気候の変わり目を示す日本独自の暦です。夏至から十一日目に当たり、休むことなく働いてきた身体を癒す時期とされています。その癒しの時間に「ペディキュア」とは、妙になまめかしい感覚を覚えます。恋心を想像させしっとりとした雰囲気が一句に流れます。俳句にとって恋の描写はなかなか難題ですが、妙味ある恋の俳句となっています。
(評)ふと、口からこぼれ出たような一句。さらりとした自然な詠みが魅力です。梅雨が明け暑さの厳しい中、親しい人たちに安否を尋ねて出す「夏見舞」。古くからのやさしい風習です。職場を離れて過ごす日々に届くハガキに、手にした同僚の嬉しそうな笑顔が見えてくる作品です。
(評)若い時には何事にも心を砕いたものですが、もう若くない齢ともなると、腹立たしいことにも慣れたり自己完結ができるようになったりします。人生百年の時代に、早くこの心境に至ることは幸せなことかもしれません。穏やかな日常を送る作者の諦めにも似た心情が読み取れます。「冷奴」が夏の涼感と心の冷ややかさを出し、季語を充分に活かし切った一句です。
(評)気分新たに八十歳をスタートさせた作者の姿が見えてきます。日野草城は「表現は平明に、内容は深く」と述べましたが、この句には、定形を煮詰めた平明な俳句の姿があります。中七の強い断定は、説得力があり八十路の自信が窺えます。これからという作者の気構えが伝わってきそうです。
(評)「夏の雲」で代表されるのが積雲。大きな塊状の綿雲で、それがむくむくと垂直に発達したのが入道雲と呼ばれる積乱雲。「真っ白に」と詠むことで、促音「っ」が雲の勢いよく湧く姿を促し、青空とのすっきりとした対比が鮮やかさを増します。海に山にスポーツにと、思い思いの夏を謳歌する人々の姿が見えてきます。
(評)「夕顔」は昼に閉じていて、夕暮れ時に五つに裂けた白い花を咲かせます。ウリ科のつる性一年草。「がくがくと」のオノマトペは固く閉じた蕾が、襞の深いギザギザの花を開かせる様を何とも的確に表しています。開花の美しい瞬間を濁音で表わすことは珍しく、この花と真摯に向き合う作者だからこそ辿り着いた言葉でしょう。
(評)取り囲む子どもたちの歓声が聞こえてきます。子どもたちの楽しみの中に、「かぶとむし」の真剣勝負の世界があります。二匹を闘わせているのでしょう。どちらかがランドセルから落ちてしまうまで闘い続けます。勝負の行方を見守る子どもたち。好奇心と闘争心に目を輝かせる子どもの表情が眩しい一句。
(評)「光陰」は歳月や時の流れを言います。そんな時間も、すべてをも滝はもろともに落ちていくと感じた作者。「もろともに」の副詞が滝の激しさを引き立てています。後藤夜半の名句に「滝の上に水現れて落ちにけり」がありますが、掲句は逆に叙景を省略化し心象へと導いています。ダイナミックな瀑布の飛沫を浴びながら、自己の存在を見つめる作者の姿が目に浮かびます。
(評)「茗荷の子」は、山野の思わぬ所で自生しているのを見つけることがあります。地上に現れて薄紅色の花穂を咲かせます。「ざくり」が何とも心地よく響き、あの音、香り、手の感触が瞬時に思い出されます。薬味という脇役だけに留まらず、夏の主役としても大いに活躍する茗荷の子。味噌汁と茗荷という身近な素材の句が、かえって印象深い秀句となりました。
(評)金子兜太を想起させるメタファーの効いた珠玉の一句。短歌でよく使う一字あけの技法を使って「沈む」が強調されています。作者が見つめるのは水底に揺らめく深い森。「五メートル」に込められた心象風景は、読者の自由な鑑賞の翼に任せられているのでしょう。作者の手から離れた句は、読み手の数だけ詩の世界を広げます。
(評)京の大路を威風堂々と進む「大山車」は、見事としか言いようのない歴史的財産です。一連の流れを、ひとつの「白き扇」が操っていると気付いた作者の旅吟の一句。扇子を片手に曳き手たちに合図を送る音頭取り。「操る」がその迫力を言い当て、その場の熱気が伝わってくるようです。終助詞「かな」が、千年の都を語る詠嘆に相応しい切れ字となって響きます。
(評)「セミ」「がんを患う人」「蟻の山」と、三つの命あるものの姿が描かれた一句。暗喩句ともいえる一句で、セミの描写が何とも悲しく詠み手の心情は複雑と言えるでしょう。「蟻」が主季語で、足元に落ちてきた「セミ」。微かにあった命も、僅かな時間で消えてしまうという現実。切ない作者の心中が深く感じられます。
(評)「夏蝶」の代表は揚羽蝶で、日差しの厳しい白昼によく飛んでいます。「手の震え」との明暗をうまく取り合わせた一句。日常のありふれた場面に緊張感を与え、その瞬間の感覚を読者に鮮明に伝えます。「瓜」を切る時は滑りやすく、微妙な切り方にも気を遣いますが、齢を重ねると尚更のこと。「瓜」も夏の季語ですが主たる季語は「夏蝶来」。瓜は芭蕉俳諧でいうところの道具立てです。
(評)白書は、もともとイギリス政府が報告書の表紙に白い紙を用いたのが始まり。携帯マップで辿る「夏白書」とは、どんなものか興味津々です。マップが教えてくれる道順に沿って、汗をかきつつ真夏の空を見上げながら様々な場面を辿る様子を想像させます。「白書」の言葉が新鮮に響きます。
佳作
(評)水中花は、紙やプラスチックなどを素材とした造花で、水中に入れると花が開く仕掛けになっています。掲句では、口語体による「本音つい聞こえましたか」という上五中七の措辞との配合によって、シニカルとユーモアのある読後感となりました。造花の水中花は、生花のように散ったり、枯れたりすることのないものです。俳句では、そのような水中花の特質をモチーフに、涼感と人工物の無機質さを踏まえて詠まれることが多いです。掲句では、水中花のありさまに人間の内面と外面を投影させているようです。句中の「本音」の一語から「建前」へと思いが及び、そこに「生花」と「造花」の関係性が重ねられます。作中人物は、あえて本音を聞かせたのかもしれません。本音を聞かれても動じず、涼しい顔をしている様子もまた、水中花という季語からうかがわれました。