HAIKU日本大賞2022冬の写真俳句 発表
2022冬の写真俳句大賞
写真をクリックすると新しいウィンドウで大きく表示されます。ぜひ皆様の力作を拡大画面でご覧ください。(オリジナルの写真サイズが小さい場合は拡大されません。)
(評)モノクロでの切り取りで、家の壁や木々などの黒が映えます。奥行きのある構図が雰囲気を醸し出しています。俳句には赤という言葉を使い、色のない世界を鮮やかな裏返しで表現しています。裸足で歩く修行僧の姿が目に浮かぶようで、上質な写真俳句だと言えるでしょう。
次点
(評)大賞作品と同じ雪の風景を題材としていますが、こちらはとても微笑ましい作品です。写真の配置、子供の服の色がとても良いです。何気ない日常を切り取りましたが、作者の温かい心が句によく表れている写真俳句です。
(評)写真に惹かれます。枯れて、筋だけとなり、隙間から空を仰げる葉。いったい幾つの歳を思い描いてこの写真と句を合わせたのでしょう。人が本心を全くあらわにすることなどほとんどないでしょう。それを口にすることも。それでも透けて見える、その心をうまく表現した写真俳句です。
<秀逸賞>
白鳥よスモールボスと意思疎通
北海道札幌市 とはいえ
(評)日ハムの“BIGBOSS”の拠点は北海道。真っ赤な帽子を被って、堂々の監督ぶりを発揮するのは、写真の「スモールボス」。可愛い女の子が、まるで白鳥を飼い慣らしているかのようです。大自然との触れ合いとはこういうものをいうのでしょう。寂寥とした冬に、ほのぼのとした景が心を温めてくれます。
道譲り身体が触れる雪の朝
北海道札幌市 夢老人
(評)木の影は長くまだ早朝のようですが、人の生活は止まることなく深々と雪に道を付けています。北国では見慣れた景色でしょうが、まるで絵葉書のような美しい景が広がります。擦れ違う人との間で無意識の内に取る行動の中に、作者のさり気ない優しさを読み取ることができます。
冬空にわがニューロンの二日酔い
宮城県仙台市 泉陽太郎
(評)「ニューロン」とは、生物の脳を構成する神経細胞のことで、人の場合約一千億個あると言われます。「二日酔い」の脳内に見立てた空に、モノクロ写真のように撮った枯れ木が枝を広げています。この枝ぶりを見て神経細胞を透かして見たようだと、「ニューロン」に辿り着いた作者の発想力に驚かされます。
千里来て交はす相聞大白鳥
宮城県仙台市 遠藤一治
(評)シベリアを飛び立ち、何週間もかけて日本にやってきた大白鳥。写真の表情は、互いを労い喜び合う姿に見えます。大きく広げた羽は、日光に透け羽軸まで露わになり、黄色味を帯びた色が体温を感じさせます。そこには、命そのものの美しさがあります。句は、万葉集の恋愛の部立てである「相聞」を詠み込み、情愛の深さを表出しています。
すこし風ふくら雀の眼は光る
宮城県仙台市 繁泉祐幸
(評)冬場はエサも少なく痩せてしまうのではと思いきや、ふわふわと愛らしい姿は、寒さから身を守るために全身の羽毛を膨らませ丸くなった「ふくら雀」。そのふくよかな姿が豊かさや繁栄の象徴だと縁起物とされ、「福良雀」「福来雀」と書くこともあります。副詞の「すこし」に名詞の「風」を付けて、「すこし風」と詠んだ副詞の使い方にも妙味のある一句。
待ち受けに光の道の初日の出
茨城県日立市 松本一枝
(評)鳥居の間に真直ぐ捉えた「初日の出」。輝きは海面にも映し出され、更には美しい「光の道」となって作者のもとへと届きます。2022年の幕開けに相応しい一枚。太陽は瞬く間に昇っていきますが、地上は名残のように赤みを帯び淑気に包まれています。パワーに満ちた写真と新年の慶びを詠う句が響き合っています。
稜線の光放ちて春近し
茨城県水戸市 打越榮
(評)作者は山の四季折々の美しさを充分に心得ているのでしょう。冬山が凄みを持つ一枚ながら、それでも作者は「春近し」を感じ取ります。稜線の白い輝きが春を匂わせています。手前の一樹も写真の素材として面白く、枝振りがすっぽりと遠山に収まっています。近景と遠景を上手く一枚に捉えることで、冬山の新たな魅力を誘い出した秀作。
クリスマスツリーにツリー重なりて
千葉県船橋市 井土絵理子
(評)もみの木をイメージして緑色にライトアップされ、鉄骨が夜空へと吸い込まれそうなスカイツリー。手前の色とりどりのツリーは見る人を笑顔にさせます。「ツリーにツリー」のリフレインも楽しく、「り」の押韻は空を駆け抜けてくるサンタクロースの鈴の音の響きのようで、クリスマスのウキウキとした楽しい気分が伝わってきます。
コミミズク音無き草の波渡る
千葉県八街市 築山和久
(評)フクロウの仲間で“野ネズミハンター”の勇ましい呼び名を持つ「コミミズク」。名の通り耳を覆う“耳羽”も小さく、フクロウより小型の鳥です。シベリアから渡ってきた冬鳥で、他のフクロウ類と異なり日中も活動し、苅田などでも見ることができます。悠然とした飛翔の一瞬に、鋭い眼光までも切り取っています。枯色一色の中、ハンターの姿が際立っています。
噴煙に霞む山肌冬日射し
東京都荒川区 涌井哲夫
(評)雲一つない冬晴れに作者が出掛けたのは箱根大涌谷。山肌は霞んでいるものの、空の青と冬山の黒とのコントラストが鮮やかです。自然の脅威と恩恵を合わせ持つ火山大国日本のひとつの姿が、瞭然と写し出されています。雄渾な調べの句が、ダイナミックな大景によく合っていて心が洗われるようです。
十五の冬オリオン見つつ議論せり
東京都町田市 横井澄
(評)冬の星座は、宇宙に思いを馳せる若者たちにとって魅力に満ちています。十五の冬に、これからのことを熱く語ったのでしょう。懐かしいあの頃を思い出します。勇ましいオリオンの姿と可憐な小花。空に散りばめられた星屑のように、それぞれが違う明るさで輝いています。句と写真が相まって、趣をさらに深くします。
冬夕焼け巴水に見せたしゲイト橋
東京都武蔵野市 伊藤由美
(評)「巴水」は大正・昭和期の版画家である川瀬巴水。日本各地を旅し、風景版画600点以上を制作。北斎や広重と並ぶ版画家の一人です。“恐竜橋”の異名を持つ東京ゲートブリッジを染める鮮烈な茜色が、息をのむように美しい一枚。空の青さが明晰な分、夕焼けの美しさは際立っており巴水も納得の秀作に仕上がっています。
冬の池明鏡止水時も止め
神奈川県平塚市 八十日目
(評)「明鏡止水」は、邪念なく静かに澄んだ心を言い、止まった水面とくもりのない鏡に譬えたものです。写真はこの心境を見事に美しく捉えています。庭園の風雅の中にも冬の侘しさが感じられる一枚。水面は、細い枝の先までも鮮明に写しています。冬の間に時たまやってくる穏やかな日和が、寒さに悴んだ心身を癒してくれていることでしょう。
富士白く忍野の里も雪近し
神奈川県横浜市 教示
(評)山梨県忍野村からの富士山。写真は、富士山の伏流水を水源とする忍野八海です。「俳句は日常の存問」とは虚子の言葉ですが、富士山への挨拶句のような一句。遠景に富士を詠み、やがて訪れる冬本番に向けての気構えが読み取れます。富士山はすでに冠雪していて、神秘的で印象的な写真となっています。
湘南の冬日を恃む鳶の笛
神奈川県横浜市 楽ハイシャ
(評)ピーヒョロロッローという「鳶の笛」。縄張り宣言とも言われますが、冬晴れの空から哀愁を帯びて届いてきそうです。中央に捉えるのは湘南の海を見守る白亜の灯台。真っ青な空とのコントラストが美しい一枚。太平洋を望む景勝地の空を旋回する鳶。「冬日を恃む(たのむ)」と詠んで、青い空に笛の音まで入れ込んだ秀作。
凛として母に重ねし木守柿
新潟県新潟市 小野茶々
(評)小鳥のために、あるいは来年の収穫を願って残すとされるのが「木守柿」です。まるで柿の木を守っているかのようで、侘しくもあり気高い美しさもあって、人と自然との共生の証しです。不思議な風習です。この木守柿を母と重ねた作者。愛情深く見つめる姿が浮かびます。歯切れの良い詠法で「凛として」の上五が心に響きます。
降ればなほ雪の窓辺の花ゆかし
石川県金沢市 百遍写一句
(評)黒い窓枠によって雪の形状が鮮明に写し出された一枚。通りの人のためにと活けられた花が、行く人の心を温めてくれているに違いありません。「花ゆかし」と置いて座五を止めた余韻のある詠みと、一見掛け軸のように見える美しい写真とが相俟って、心に沁みる風情を醸し出しています。「雪の窓辺」の閑静な美意識にホッとさせられます。
時空シェアZ世代と心機冴ゆ
岐阜県岐阜市 木華
(評)遠嶺に雪山、手前の山はまだ雪を被っていないのでコントラストに妙味があります。Zの文字に見える冬の枯れた山の間に、常緑針葉樹の杉の一団が林立しています。緑と枯れ山と雪山の狭間を捉え、Z世代とシェアする時空を見事に表出しています。Z世代は1990年半ばから2010年生まれの25歳以下のインターネット世代を言います。
湯上りの赤き耳たぶ寒の梅
兵庫県西宮市 幸野蒲公英
(評)寒梅を「赤き耳たぶ」と擬人化したところが上手くはまっています。擬人化の句は中々に面倒で、実際に成功するのは稀ですが、この句はそこをするりと抜け、芽吹きの梅を見事に捉えた感性の一句。丸い蕾が愛らしく、ほころびかけた八重の花びらからは馥郁とした香りが漂ってくるようです。冬の満ち足りた一日を窺うことができます。
哀しみは記憶の海へ春隣
奈良県奈良市 堀ノ内和夫
(評)沖縄での作というこの写真俳句の迫力にまず、驚かされます。岩窟を上手い写角で捉えた写真に、俳句も良く合致しています。戦後七十年を越えても癒されぬ大きな穴が存在しています。沖縄戦の悲惨な歴史とも重なり、人間という存在を改めて考えさせられます。自然に教えられるとは、こういう事なのでしょう。
老いて尚咲いてるふりの枯尾花
和歌山県橋本市 徳永康人
(評)「枯尾花」は、俳句や和歌の世界で古来人生の儚さの象徴のように扱われてきました。掲句にも、人間の老いの寂しさや心細さといったものが詠み込まれています。上五から中七の措辞が平明な故に、季語が尚更生きてきた秀句。艶やかだった穂も茎も枯れた冬の枯尾花に、人生を重ねているかのような句が、情趣ある作品として読者の胸に残ります。
しばらくは朝とどめたる冬の水
徳島県徳島市 今比古
(評)東の空が瞬く間に色を変えていく朝。ものの数分で、水平線や山の稜線を離れていきます。川の色にもまだ、夜の冷たさが残っているかのように感じられます。ゆっくりと目覚めていく街のほんの一瞬の景に、句がやさしく寄り添っています。五感を研ぎ澄ませた写実は、あたかも絵画の世界に陶酔するかのようです。
<佳作>
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