HAIKU日本2021冬の句大賞
特選
(評)チャールズ皇太子とダイアナ妃のロイヤルウェディングは三十年前のこと。白いドレスのダイアナ妃の姿は世界中から注目を浴びました。その記憶は今も色褪せることはありません。空から舞い降りてきた白鳥にダイアナ妃のあの優雅な姿を重ねる作者。「ごとし」の語幹の「ごと」が効いています。作者の紡いだ「ダイアナ妃」と「白鳥」の言葉によってイメージが膨らみ美しい一句となっています。
(評)昔は家にかまどがあって、寒さの苦手な猫が火を落とした灰の中に潜り込むことがありました。「灰猫」と呼びます。寒さの厳しい夜だったのでしょう。「君が既読を付けぬ夜」はさらに寒さが身に染みたのかもしれません。情報社会を生きる現代人とのんびり暖を取る「灰猫」の対比が切れ字の「や」によって強調され取り合わせの妙があります。
準特選
(評)「冴ゆる夜」は寒さが極まり凛として透き通ったような夜のこと。冷え切った夜は透明度が増し、月も星も闇さえもくっきりと感じられます。青白く冷たい月光は、冬ならではの美しさで作者を魅了します。月への憧れから、夢の中で月へ梯子をかけたのでしょうか。作者の感性が輝きを放つ巧みな作品となっています。
(評)「Aria」はイタリア語で、オペラやカンタータなどで歌われる独唱歌曲のこと。薔薇の盛りは夏ですが、「冬薔薇」は寒さに耐えて精一杯の花を咲かせます。冬枯れの景色の一処を彩る「冬薔薇」。蕾のまま終えてしまう花もある中、「Aria」を歌い演じきった一本の薔薇を擬人化して詠むことで一層哀れを誘います。「Aria」の表記によって華やかだった時の美しさを鮮明にします。
(評)オオカミ(大神)とも呼ばれ、狼は古代より神として崇められてきました。獰猛な遺伝子を脈々と受け継いできた狼は、田畑を荒らす害獣を捕食してくれる存在でした。日本から姿を消したのは明治時代です。絶滅した狼と飼われてきた犬。「牙」に狼の遺伝子を感じて、眠る愛犬のルーツに想いを馳せた一句が、読み手に勇ましい狼の姿を思い起させます。
秀逸句
(評)「突貫の」と打ち出した上五で状況がよく分かり、一句一章句の見本のような作品。雪の中での立往生を防ごうと、一分でも一秒でも早く道を通したいという作業員たちの思いが込められています。除雪車が照明の先の覆いかぶさる雪を一気に切り拓いていく豪雪地帯特有の光景です。夜通し続く作業を「夜を照らし出す」と詠み、現場の懸命の様子が如実に語られています。
(評)「手毬唄」は、もともとは正月に女の子が毬を弾ませて遊ぶのに合わせて唄うもの。今は、手毬に興ずる姿は見かけなくなりましたが、各地に童謡として残り唄い継がれています。掲句は、語り部がその締めに唄うのが「手毬唄」と詠み、俳句ならではの用法である「締」の名詞化が一層この句を凛とさせています。古きものへの郷愁も同居している語りと唄は、きっと美しいに違いないと思わせてくれます。
(評)「一陽来復」は冬至の子季語です。この日を境に日脚は伸びていきます。誰もが喝采を送った日本の探査機“はやぶさ2”の帰還。オーストラリア南部の砂漠地帯に投下した「リュウグウ」のかけらの入ったカプセルはまさに「玉手箱」です。春の気が復し、物事が良い方へ向かうという意味もある「一陽来復」との取り合わせが見事です。
(評)「ことほぐ」は言葉で祝うこと。作者には「巫女の舞う鈴」がそのように聞こえたということでしょう。昔は、抵抗力のない子は亡くなることも多く、七五三の年齢になるまでの成長を見守ってくれた神様に感謝するのが「七五三」。主役である着飾った我が子に巫女の舞いが華やかさを添え、家族の幸せが晴れやかに詠われています。
(評)だれ一人歩いた跡のない雪道にくっきりと入った「轍」。「轍ありけり」と詠嘆で締めた一句は、その情景を鮮やかに蘇らせます。降り注ぐ月の光の中、来し方を見つめる姿も浮かんできて詩情豊かな作品となっています。雪に残した轍を辿っていくことは、今日までの道のり、辿ってきた人生をも見つめることでもあるのでしょう。
(評)「主亡き」で無常観が漂います。そんな中、たわわに実った「蜜柑」の枝を詠んだ作者。冬の果物の主役であり、親しみのある蜜柑だからでしょうか。他のものには替え難い郷愁が流れています。この蜜柑の木は作者の今年の冬を象徴するもののひとつとして、深く胸に刻み込まれたことでしょう。
(評)慌ただしい中にも活気が溢れる一年の終わり。新年の準備に追われます。会話はなくとも、それぞれの思いが手に取るように分かるのか。それとも、それぞれ思うことが違うのか、長年連れ添った夫婦の形はそれぞれ。「年の暮」の夫婦の時間が共感を呼び、上五と中七の措辞が誰の心にも素直に届いてきます。
(評)「小夜時雨」は夜に降る時雨。一般的に「はねる」はその日の興行を終えることを指す場合が多く、作者はこのコンサートの出演者か関係者なのでしょうか。「傘借る」によって、お互いの体を気遣う場の雰囲気がよく伝わります。コンサートの後の「小夜時雨」が何か浮き立つような気分にさせてくれます。
(評)「冬の蜂」はどこか哀れを誘うものです。「言ひ返す」ことなど余りしない作者なのでしょう。言えば言うほど深みに陥っていくことがあります。思わぬ展開となって抜け出せない場面に遭遇してしまい、その後悔が一句となったのでしょうか。力なく動く「冬の蜂」の弱々しい姿と重なっています。
(評)地下を電車が走ると空気が逃げ場を求め突風となります。地下鉄独特の風に押され、人の波と共に職場に向かう時のホームに降り立った臨場感があります。初仕事のこの日、まだのんびりとした気分の抜けない身体に日頃の感覚が戻ります。誰にでもある休暇明けの心理状態を詠んで読み手の共感を呼びます。
(評)「初髪」は新年になり初めて結い上げた髪のこと。「初髪」での外出を済ませたのでしょう。正月疲れもあるのか、夕刻までの一時の安らぎを得る妻。縁側でうたた寝している妻を優しい眼差しで見ている作者に、仲の良い夫婦が想像され誰もが羨むような心温まる一句。
(評)「重さうな空」に雪雲に覆われた寒々とした空が想起されます。「大根引く」で秋の種蒔きから始まった一連の作業が終わります。大きくなればなるほどなかなか抜けません。年齢を重ねると辛い作業ですね。身近な野菜を育てる中にも厳しい生活の匂いの伝わってくる一句。俳句は日々の暮らしの中から生まれます。
(評)「くさめ」は「くしゃみ」のことで冬の季語です。「赤んぼのくさめ」でその場が和み皆で笑ったのでしょう。何とも微笑ましい光景です。「くしゃみ」ではなく漢字でもなく、「くさめ」とひらがなで詠んだことで表記も音も柔らかくなりました。その一瞬の、穏やかな充実の時を書き留めた一句に詠み手の心も綻びます。
(評)凛と冴え渡った冬の空を突き抜けるような「笛の音」に臨場感があります。観客も寒風をものともせず、熱い闘いを見入っていることでしょう。相手の隙間を縫うようにしてトライする景が浮かび、季語「寒晴」がよく効いています。ラグビーワールドカップで日本代表が初のベスト8入りを果たし、一大ブームとなったのは二年前のこと。あの誇らしい光景を思い出させます。
(評)冬には家の中でさえ息が白くなることがあります。まだ誰も起きていない朝、作者の一日は始まるのでしょう。鏡に映る自身の白い息に作者は何を思うのでしょうか。終助詞の「よ」が優しい囁きのように響いてきます。名詞と助詞だけの多くを語らない句が読者に多くのことを感じさせます。
(評)目覚めた時の小さな驚きが「初雪や」、「何の足跡」から伝わってきます。「丸木橋」に何やらくっきりと足跡が残っており何の足跡なのか、野兎でしょうか栗鼠でしょうか。それを読者にも想像させる楽しさがあります。朝の静寂を切り取った真っ白なひとつの光景に明るい詩心が漂います。
(評)「ダギング」はスプレーペンキで描かれた落書きの一種。商店のシャッターや建物の壁、ガード下などで見かけます。突然やってきて落書きに及ぶ迷惑行為は堪ったものではありません。この夜の穏やかならぬ心中を、鋭く冷たい月の光の射す「月の冴え」で締めくくっています。
(評)「お元日」の一景を詠んだ何とも言えない味わいのある一句。
「穏やか」の形容動詞が一句に上手く馴染んでいて、自然体の俳句が読者の心にスッと入ってきます。海老ひとつで食卓はぐっと華やかになるもの。「海老の皮むきて」という具体的な動作に、自粛ムードの中にも穏やかな時が流れています。
(評)「舫う」とは、舟を岸に繋ぎ留めたり舟と舟を繋いだりすること。舫い結びは、しっかりとしてしかも解きやすい漁師特有のロープの結び方を言います。掲句は「六十年」がピタリとはまった素直な叙述句。「一枚の賀状」が培ってくれた縁を大切に思い感謝する作者の姿が見え、それぞれの道を歩んできた時の重みをじっくりと考えさせられます。
(評)不機嫌とか愛想が悪いというのではなく、無用な事はしないという淡々とした配達員の姿でしょうか。実直でまじめな仕事ぶりとの矛盾が一句となって成功しています。言葉のやり取りはなくても、どこか通じ合っているような心理がうかがえます。読み手によって様々な場面が想定されるのがこの句の魅力です。
(評)「浮寝鳥」は鴨や雁などが水に浮いたまま眠っていることを言います。「波枕」という風情ある言葉を得て、ゆったりと過ごす水鳥の姿を思い浮かべ、北から渡ってきて春には帰っていく宿命を持った鳥の安らぎの時を想像させてくれます。風は穏やかで川や池の水面は静かです。まさに浮き寝をしながら「波枕」にたゆたっているのでしょう。
(評)ハイボールやチューハイ、シャンパンの弾ける泡の音が聞こえてきます。冬空に輝く「凍星」の冴えた光から手元の「泡の音」へと大から小への変化。切れ字を使った二句一章が見事に決まり、季語の斡旋も絶妙な一句。冴え冴えとした星影とグラスの中の泡の煌めきが、冬の一夜の物語を美しく彩っています。
(評)里に伝わる「神楽」の多くは笛や太鼓などで囃し演じられます。古里が近づくにつれ、焦がれる気持ちが深まります。「神楽笛」の音色を聴き、懐かしさと楽しさが蘇ったことでしょう。里神楽は地域それぞれに特色があります。その光景や人々の賑わいも想像できて情趣ある一句となっています。
佳作
(評)慈愛に満ちた一句です。「掌ほどの陽を得て」という措辞は、可憐に咲く冬すみれにたいして、まるで天上からやさしくスポットライトが当てられているような光景です。「掌」は「たなごころ」と言い、手のひらのことを表わします。小さな冬の日向の比喩として、掲句では用いられています。また、この「掌」は誰のものだろうかと想像がふくらみます。神仏の掌と考える方もあるでしょう。造化をつかさどる大きな存在を思い描いてもいいでしょう。宇宙と比して極小の冬すみれのいのちのかがやきを、うつくしく言いとめた作品です。この光景に出くわした作者のこころにも、あたたかい一条の光が差し込んだことでしょう。