HAIKU日本大賞2021秋の写真俳句 発表
2021秋の写真俳句大賞
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(評)とても可愛らしく詠んだ写真俳句です。手塩にかけて育てられた葡萄がより一層愛しく思えます。丁寧にかけられた保護紙を綿帽子に見立てる、その発想に驚きを覚えました。行き届いた世話と愛情が葡萄を一段と輝かせ、さらに嫁入りの雰囲気を醸しています。化粧箱に入れられて、どのようなところに嫁に行くのでしょうね。
次点
(評)まず、奥に広がる地上の緑と、前に向かってくる鰯雲の空を写した構図がいいです。また、人生は確かに四苦八苦の連続。鱗のように真っ直ぐにはいきません。絶景を写しながら現実を語る良句です。
(評)スケール感のある写真が迫力を醸し出しています。日の出の神々しさをバックに羽ばたく雁に希望を感じます。
<秀逸賞>
キャンパスに冬支度するシルエット
北海道札幌市 鎌田誠
(評)キャンパスでこんなに可愛い光景に遭遇するとは、羨ましい限りの一枚。木の実をかじっているリスのシルエットも鮮明です。リスを見る機会の少ない地域では、リスは敏捷で臆病なイメージがあります。それを覆す実態。人が近くにいても悠々と食事をする姿は、北海道の広大な大地で育まれたからでしょう。「キャンパス」の四音が輝きを放ち、活気ある風景を自ずと想像させてくれます。
蒼天に小さな大志あかとんぼ
宮城県仙台市 泉陽太郎
(評)「蒼天」に「あかとんぼ」がよく似合います。一点の曇りもない清澄な秋の空を存分に味わえます。のびのびとした風景の広がる里山でのワンショットでしょうか。樹木の天辺で捉えられた小さなあかとんぼの「小さな大志」を、読者も感じ取ることができる写真俳句です。俳句にある省略技法のように、景色さえも大胆に切り取った写真に優しい句が寄り添います。
玉響の栗の実を聴く一日や
宮城県仙台市 繁泉祐幸
(評)「玉響(たまゆら)」は、玉と玉が触れ合う微かな音の意味から転じて、ほんのしばらくという間合いや一瞬のことを言います。万葉の時代から伝わる美しい日本語の一つです。「栗の実」が落ちる光景を「聴く」とした表現が巧みで、周りのひっそりとして静かな様子も伝えます。今まさに毬が割け、栗の実の落ちる音を聴かせた一句が、旬の景を鮮やかに伝えてくれる写真俳句です。
見つめをる月に囁く帰り道
埼玉県所沢市 秋岡邦夫
(評)葉も落ちて刺々しくなった木が、日一日と冬に向かっていくどこか寂しさを感じさせる写真です。その夜道を見守るかのように照らし続けてくれる「月」に、作者は囁き、願いを掛け、思いを馳せながら情趣を楽しんでいます。宇宙旅行が現実になりつつある現代ですが、もうしばらくは、秋の風雅を代表する「月」を愛でる心情を持ち続けていたいものです。
紅葉映ゆ古刹の石の手水鉢
千葉県船橋市 井土絵理子
(評)手水鉢に張った水を赤々と染めるのは、燃えるような紅葉の色。その様を見るだけで、この紅葉がいかに美しいのか分かります。「古刹」は由緒ある古寺を言う言葉です。そこの「石の手水鉢」に焦点を当てた写真俳句。写真の美の中核を表わす「映ゆ」の言葉が、美しい紅葉の映る鉢の特徴をよく捉えています。日本の秋の奥ゆかしさを切り取った写真と、文語体で詠んだ俳句が符合し深い余韻を感じさせます。
人影のなき木洩れ日や秋薔薇
東京都足立区 yuriha
(評)「秋薔薇」の美しさを前面に引き出した一枚。秋の薔薇は寂しげに見えますが、気温が下がりゆっくりと花開くことで、色も香りも深くなると言われます。背景をぼかすことで赤い一点が一段と美しさを増し、己が美しさを誇示するかのように咲く「秋薔薇」が捉えられています。玉ボケが優しい光を作り出し、木洩れ日の雰囲気をより高め、句と相まって詩情豊かな写真俳句です。
墓だけの故郷帰る盆休み
東京都荒川区 涌井哲夫
(評)夜が明けたばかりの上野駅。始発電車が動き出す前のひと時の静まりが広がっているのを感じます。かつては集団就職列車や夜行列車が発着し、東京の北の玄関口だった駅もその後、路線が東京駅と繋がることで途中の駅の一つとなりました。今はもう生家も無くて、故郷は墓のみという人生の哀切をしみじみと感じさせられる一句。人の様々な想いの交差する駅と作者の想いが響き合い、読者の胸を熱くさせます。
美しさ超えて眩しき星月夜
東京都町田市 横井澄
(評)藍色の深い色合いの空が魅力の写真俳句。建物と木が空を邪魔しないようにそれぞれの存在感を出しています。手が届きそうな星空は、山頂近くにあるキャンプ場からの撮影でしょうか。秋の澄んだ夜空に満天の星が輝くと、まるで月の光に照らされたかのような明るい夜になることがあります。作者が捉えた眩しい星たちは、眠るのが惜しいほどの美しさです。この夜の感動を詠んだ一句が、まるで星空に鳴り響いているようです。
もう少し夢見てみよう秋夕焼け
東京都武蔵野市 白以風信子
(評)落ち着いた雰囲気の写真に、口語体の俳句がよくマッチしています。ベンチに座る帽子の男性が黄昏の景に似合っていて印象的な存在です。急かされて生きてきた時も過ぎ去り、今はこうしてのんびりと、移ろう景色を眺める時間を持てるようになったのでしょう。「もう少し夢見てみよう」の言葉が、読者にも呼び掛けているかのように響いてきます。「秋夕焼け」の刻々と色を変える風景が、人生模様そのものに思われる写真俳句です。
穭の穂不要不急の歩の軽し
神奈川県厚木市 折原ますみ
(評)急ぐことなく進める歩みに、作者の爽やかな心情が伝わってきます。心なしか「穭(ひつじ)の穂」も嬉しそうです。稲を刈り終えた後の切り株から、再び生え出てくる青い芽が「穭の穂」です。秋の深まる気配が濃厚な山間での侘しくも美しい光景。アングルの良さで、遠方の山まで緑がグラデーションをなしています。高い山を撮り込んだ面白い構図の写真俳句です。
朝顔も年金暮らしか綱渡り
神奈川県平塚市 八十日目
(評)垂直にスッと立つ白く清楚な朝顔。真っ直ぐに天を向く姿が印象的です。蔓や萼片の産毛まで明らかで、早朝の瑞々しさが伝わってきます。横へ伸びる蔓の一点で支えられたその姿を「綱渡り」のようだと詠み、「年金暮らし」に喩えました。朝顔に沈思黙考し、人生の秋を詠った作品。ユーモアのある視点と優しい目線が、作品のオリジナリティを高めています。
秋空や五線譜広げ何歌う
神奈川県横浜市 教示
(評)白いスモークを引きながら大空を豪快に飛ぶアクロバット飛行。機影までもがくっきりと捉えられているのは澄んだ秋の空ならではのこと。スモークの白、空の青、ビルのシルバーと、色を抑えすっきりとまとめ冷ややかにも見える写真に、「五線譜」に見立てた句が寄り添うことで生き生きと躍動感のある作品となっています。爽やかなメロディーに乗せた歌声が聞こえてきそうです。
透視図の鉄路の先の秋の空
神奈川県横浜市 まつといのいち
(評)鉄路の先に無限大の秋の空が広がります。「透視図」とは、ある物体の形を目で見たのと同じように平面上に書き表した図のこと。踏切と電柱が四角いフレームのようになって、何処までも澄み渡る秋空に鉄路が投影されています。作者がこの景を見て立ち止まったように、「透視図」と詠んで読者を立ち止まらせ、目前の鉄路から架空の世界をも触発する作品となっています。
リハビリや一周ごとの朝の月
石川県金沢市 百遍写一句
(評)作者の居る病棟と街灯の灯りが窓に写り込んで、街の風景に重なって見えます。手術後に課している毎朝のリハビリ。リハビリの辛さを月を眺めて癒してもらっているのでしょうか。自らを元気づけたいと詠んだ一句に思えます。「リハビリや」に込めた心境と状況を「朝の月」に託して詠んだ一句。余分な言葉をそぎ落とした深みがあり、痛さに負けずに頑張っている姿が伝わってきます。
うつし世の光の起伏曼珠沙華
岐阜県岐阜市 鈴木白湯
(評)「うつし世」は「現世」と書き、この世のことを言います。「曼珠沙華」は彼岸の墓地に咲き「死人花」「幽霊花」とも呼ばれ、ひっそりとしたイメージです。そのものにふさわしい在り方が“本意本情”ですが、「曼珠沙華」は仏教の世界では“天上に咲く花”とされ華やかな一面も持ちます。写真の曼殊沙華は深い赤で、神秘的な奥行き感を湛えています。「光の起伏」の表現が、順調な時とそうでない時の「うつし世」を物語ると共に、背景の木々が涅槃へと誘う雰囲気も漂わせています。
富士の嶺見て見ぬふりの薄かな
岐阜県郡上市 海神瑠珂
(評)冠雪した富士の裾野で薄が揺れる光景は圧巻の美しさです。緑の林を背景に入れることで、金色の穂をなびかせる薄はさらに鮮やかさを増します。作者は薄が揺れながら、富士山の雄姿を「見て見ぬふりを」していると感じたのでしょうか。富士を仰ぐ雄大な写真の中にありながら、薄は何処か独特のさびしさの風情を漂わせています。ここに「富士の嶺」がなかったら、とても侘しい秋の景となったことでしょう。
献立に迷ふ頭上に鰯雲
兵庫県西宮市 幸野蒲公英
(評)日はもう随分と傾き街の翳りも想像できます。この句の面白いのは家の中に居ながら、まるで戸外での出来事のような作りになっているところです。「鰯雲」は灰色から銀色そして白へと細やかな変化を見せ、秋の空を繊細に彩っています。温かみのある句は、吟味しながら、食材を揃え、手際よく調理し、出来上がった品々を楽しそうに食卓に並べていく、一人の女性の姿を浮かび上がらせます。日常を切り取ったすっきりとして印象深い写真俳句となっています。
黄昏迫る大都市やそぞろ寒
奈良県奈良市 堀ノ内和夫
(評)「そぞろ寒」は、秋になってそぞろに寒さを覚えることを言います。ニューヨークのタイムズスクエアでしょうか。垣間見る秋空に乱立する高層ビルの姿が、独特の雰囲気を醸し出しています。ニューヨークは青森県と同じ緯度です。「そぞろ寒」に米国の退潮をも詠み込んでいるかのようで、人の渦巻く大都会の中にある一つのストーリーを感じさせます。
老木の後ろ姿やそぞろ寒
和歌山県橋本市 徳永康人
(評)モノクロの写真が「老木」の持つ凄みを上手く引き出しています。うねるようにせり出す様は、天に向かって何か言いたげでもあります。樹齢の長い分味わいのある後ろ姿と「そぞろ寒」とが響き合い、ものには表裏があり「老木」と詠んでいるのに、人間社会の表裏をも表しているようで比喩が成功した秀句。「老木の後ろ姿」と意表を突く一句と、モノクロの世界とが相俟って寂寥感を漂わせています。
深秋の空に散りたる音符かな
徳島県徳島市 今比古
(評)椋鳥はずらりと電線に止まっていたり、一斉に飛び立ったりと集団で動く習性があります。灰黒色の姿が電線と重なって、ちょうど音符のように見えます。日中は街へと出てきた鳥たちも、夕暮れになるとねぐらの山へと帰っていきます。作物への被害など人との共生の道は簡単ではありませんが、この句は心のゆとりを教えてくれ、空から音楽が降ってくるような楽しい気分になります。
<佳作>
※俳号で応募された方は、原則として俳号で掲載させて頂いております。