HAIKU日本2021秋の句大賞

特選

(評)「秋彼岸」には、先祖の墓参りや法要が営まれます。焦点が「一枚」に凝縮されたような一句。なぜ、一枚なのか。新型コロナウィルスのパンデミック以来、世の中の様々なものの在り方が変化しました。彼岸の法要も簡素化されています。一枚とは僧侶の為のものでしょうか。出席する縁者はいなかったのでしょうか。一枚というのが感慨深く、一読、心に残って忘れがたい俳句となっています。中七の「て」止めの軽い切れも効果的で、読み手の心を捉えます。

(評)中国武術の一つ「太極拳」。深い呼吸と緩やかな動きが心身の健康に効果をもたらすとして国内でも普及しています。靴はその道を究めるための大切なアイテムです。習い事の始めはビギナー用のグッズで身を固め、腕が上がるにつれて道具も服装もグレードアップされます。澄み切った秋空のもと、作者が足を止めたのは太極拳の練習風景。熟練者らしき人の「靴の先」まで決めた型に釘付けにされたのでしょう。靴先の一点を詠むことで、その真剣な眼差しや周りの光景など見えないものまで見せ、十七音に描き切った特選句。
準特選

(評)身近な人との別れがあったのでしょうか。「菊日和」は、菊の盛りの頃の穏やかな晴天を言います。一緒に菊の花を愛でながら巡った日、あるいは二人で菊の花を育てた日々の仲睦まじい姿が浮かびます。菊の香の漂う澄み渡った秋の一日に、この別れがとても辛く感じられます。「愛されし分」は、この先も作者の中でずっと生き続けることでしょう。心象を詠んだ二句一章句として、繊細な心情が描かれています。

(評)「身に入む」は、平安朝半ばに和歌に愛用された言葉で“秋のあわれ”のこと。秋も深まりもの寂しさがしみじみと感じられることを言います。石ころの影に作者はそれを感じたと詠みます。無機質である「石ころ」に生命を与え、石ころを生あるものと見た作者の眼力が一句を支えています。定型を破り五五七で詠んだ一句。上五で「身に入む」を詠嘆することで季語の力は強まり、措辞の破調はざわざわした作者の心情を表出し、「影」の名詞止の省略によってその効果はさらに増します。自然の石に対する寂寥感を滲ませています。

(評)豪快な笑い声が聞こえてきそうな一句。どんな面白い場面に遭遇したのでしょうか。それ程笑える出来事、それ程笑える話に羨ましい限りです。「のどぼとけ」と「あおぐほど」は漢字にせず平仮名表記として、おおらかさが加わりました。一句を締める「笑う」と字面からもよく合います。抜けるような真っ青な空の「秋天」、その澄み切った秋空に笑い声が響き渡る様が容易に想像できます。言葉を選び、仕立てる作者のセンスの良さが光ります。
秀逸句
(評)「ステゴドン」は、ゾウの系統で長く前に突き出した牙が特徴です。日本でも500万年前からの地層から化石が発見されており、その頃ゾウの仲間が繁栄していたことになります。「蘇生せり」で、「秋澄む浜」にまさに蘇ったかのような印象を植え付けます。作者は手作りの砂の像を出現させたのでしょうか。「せり」と言い切った一句が鑑賞の翼を広げ、読者を太古の昔に連れて行ってくれます。
(評)秋の彼岸の頃に咲くので「彼岸花」と呼ばれ、本季語は「曼珠沙華」。土手や畦に群がって咲く真っ赤な花は親しみを覚えますが、墓地などにもよく咲くので暗いイメージが付きまといます。確かに、未来が何も見えてこない気がする今、ひっそりとした彼岸花の赤でも世情にともす灯りと作者には思えたのでしょう。ひっそりと咲くことを求められているかのような彼岸花の本意本情を優しく受け止めた作品です。
(評)現在、日本酒の醸造は寒造りがほとんどで、製法により新酒の出荷時期も異なります。この為、時期ごとにそれぞれの新酒を楽しむことができます。かつては、新米を収穫するとすぐに醸造したので、新酒は秋のもので季語も秋とされました。家飲みが当たり前となった今、豊潤な味わいが特徴の新酒を楽しめる幸せ。今宵、旨い酒がこうして飲めるのも、家神様が守ってくれているお蔭と、真っ先にお供えする姿に感謝の気持ちが伝わってきます。
(評)香りと酸味が料理をひときわ引き立ててくれる「柚子」。そんな柚子が香り立つ台所を詠んだ一句。「俎板を覆ふ如く」という比喩が生活詠の極みともいえる味を出しています。切れば俄かに香りたち柑橘系のフレッシュさで満たされます。柚子の芳香だけに焦点を絞り、簡略化して詠んだところが効果的な一句です。柚子と共にどんな食材が食卓に並べられるのでしょうか。
(評)台風などが去った後の倒れ掛けた稲が、「風のかたち」に傾いていることに気付いての一句。「風」のリフレインで仕上げたところが印象的です。分かりやすい言葉だからこそ、誰もがその情景をすぐに思い浮かべることができます。「風去つて」の五音で嵐の去った安堵感が盛り込まれていて、「かたち」を「形」ではなく平仮名表記したことで句が柔らかくなり、安堵感を視覚でも読者に伝えています。
(評)二物衝撃の趣きを持って、季語「鷹柱」にぶつけた秀句。鷹の半数は北方から渡ってきますが、残りの半数は日本で繁殖を終え南へ渡ります。群れをなして渡るのは後者の方で、サシバの群れなどは渡るのに先立って上昇気流を捉え高く舞い上がります。これが「鷹柱」で晩秋の季語です。中七の措辞が皆に勇気を与えてくれる力強い俳句となっています。
(評)11月9日に寂聴さんが永眠されました。命あるものの本質をいつも見ていたような女性でした。明るさと哀しみの狭間を生きた九十九年の人生。生き様を「阿波の踊りの如く」と詠んだ作者のこの一句は、寂聴さんのもとにも届くことでしょう。「結局、生まれてきたら死ぬのだから死ぬために生まれてきて、別れるために会うんですね。本当にたくさんの人、親しい人を見送ってしまうと寂しいって言うんじゃなくて、向こうへ行ったら会えるっていう気がしてきています。」この寂聴さんの言葉通りに、今頃きっと再会を楽しまれていることでしょう。
(評)加賀百万石のお膝元、小京都としても人気の高い金沢。荒波の日本海に面するゆえの気候は「千変万化」するのに違いありません。十八音で一気に詠み上げた破調の一句。固有名詞の「金沢」もよく効いていて、その地をよく知る人は冬を間近にした空を、すぐに思い浮かべることができるでしょう。秋空の移り変わっていく様をほぼ漢字だけで見事に表現していて、小気味よく印象深い一句となりました。
(評)「新藁」には新鮮な独特の匂いがあります。素直に真っ直ぐに詠み上げた一句。「ふくいくと」によって良い香りが漂ってきて、収穫後の喜びや安らぎが読み手にも伝わってきます。現在、藁の用途は一般に見かけることは少なくなりましたが、古くは筵、草履、屋根など日常生活の中に様々な形で利用されてきました。その匂いは母の匂い、あるいは故郷の匂いとして遠い日の記憶と結び付けられます。
(評)盆に招かれてくる先祖の霊を慰め、これを送るために集まって踊るのが盆踊り。母の表情を「恍惚」と「はしきやし」で表した一句。「はしきやし」は、形容詞の「美し」の連体形に間投助詞の「や」と「し」を用いた連語です。「ああ、いとおしい」の意味になります。「踊笠」は女性が被るもので、盆踊りの母の表情を「恍惚」と詠んだ強い官能性も、句に奥行きと普遍性を与えています。一心不乱に踊る母親の姿が、子供心に恍惚感を感じさせたのでしょう。
(評)月の明るい夜は華やかで楽しい気分になるものです。「良夜」は、俳句では陰暦八月十五日の名月の夜に限られて詠まれます。いつもは大事に仕舞ってある句集を今夜、懐かしさと共にひも解いたのでしょう。それが、思い入れのあるものだということは、読み手にも伝わってきます。灯火親しむ秋、「良夜」と「句集」の取り合わせが、秋の夜の風情を一層濃くしています。素直な叙述の一句が心に残ります。
(評)「萩」の本意本情を詠んだ見事な一句一章句。風に揺れる萩の小花を的確に捉え表現しています。可憐で優美な萩ならではの句として、しっとりとおさまっていて、慎ましく気品のある様や風に揺れ咲きこぼれる情景が浮かびます。秋の七草の一つにも数えられる萩は、古くから日本人に親しまれ数多くの詩歌に詠まれてきました。秋の寂しささえも感じられる風趣ある句になっています。
(評)皮を剥いた渋柿を軒先に吊るし甘くなるのを待つ「吊るし柿」は、先人の知恵の詰まった保存食のひとつ。愛され続ける日本人のソウルフードです。外の風景として詠んだ句は多々ありますが、掲句は「座敷に」とあるので家の中から見た景。吊るした柿が「回る」様を描写し、その影は「ながし」とまで詠んでいます。それは段々と昼間の時間が短くなってきている秋の一日の、最後の陽を惜しむかのように見えます。影に焦点を当てた発想が類想の及ばない一句を生みました。
(評)「かなかな」は、秋蝉の代表格と言える蜩(ひぐらし)の傍題です。特に初秋の日暮れに、カナカナカナと高く澄んだ声で鳴きます。少女の行動のみを示し鑑賞は読者に委ねられています。別れのシーンでしょうか。少女の様子は、「蜩や」と詠むより「かなかなや」が似合いますね。かなかなの物悲しい鳴き声と哀愁のある措辞が響き合い情趣を深めています。郷愁をそそられる一句です。
(評)「西瓜」は、南瓜や糸瓜と同様にウリ科の蔓性植物に分類され秋の季語となっています。何でもない生活詠の一句が、「孫の数だけ」と入ることでほのぼのとした一句に仕上がりました。軽トラに積んだ後はどうするのか。孫たちへそのまま届けに行くのか。遠方なら箱詰めにして送ってやるのか。「孫の数だけ」と具体的に示すことで読者の想像はふくらみを増します。句の途中に切れの入っていない一句一章句は、散文的になりがちと言われますが、その分ストレートに情景が伝わり共感も大きくなりました。
(評)中句の意味の切れ目が下句へ跨っている句跨りの一句。定型を破りリズムを変えて詠むことで「淋し」が強調され、作者の心情がより強く伝わってきます。遥か彼方で瞬く星を、軒先に吊るした「虫籠」を通して眺めているのでしょうか。それとも光を発するホタルを星に見立てて詠んだのでしょうか。ロマンチックな表現となっています。作者の感じた「淋し」を読者も共感させられ、作者の個性が大いに発揮されています。
(評)「涼新た」は“新涼”の傍題で初秋の季語です。涼しくて過ごしやすく、スポーツの秋にふさわしい季節です。選手宣誓は、野球やサッカーの開会式で、参加チームを代表するキャプテンが力強く行います。「くもりなき声」とは強い決意に満ちた声。青春の真っ只中を無我夢中で走り続けてきた選手たちが掴んだ夢の舞台に、ただその声だけが響き渡っているのでしょう。緊張感のある闘志渦巻く一瞬を感じ取った秀句。
(評)只ならぬ気配を感じさせて妙味ある一句。「野分」は秋の暴風で、草木を吹き分けるという意味を持ちます。作者の心境と取り合わせた「野分前」に落ち着かない心が如実に表れています。作者にしか本当の句意は分かりませんが、若い頃には失敗や蹉跌も多く、若者の特権と言えるでしょう。義理や礼を欠くなど、後で気付くことの多々ある日々に読み手も共感を覚えます。「野分前」と詠むことで、心の機微を浮き彫りにしてくれています。
(評)「やや寒」や「そぞろ寒」と同じ程度の寒さですが、「うそ寒」はどこか心の落ちつかなさを内包します。「うそ」は「薄(うす)」から転じた接頭語で、何となくうっすらと思われるような微妙な言い回しの寒さを言います。選挙では、日本中に選挙ポスターが張られ、さまざまな公約が叫ばれましたが、聴衆の心を熱くしたのでしょうか。雨を弾くポスターと向き合う作者の心が投影されているかのようです。
(評)秋の美しい月も見納め。「十三夜」と呼ばれ陰暦九月十三日の少し欠けた月が「後の月」です。名月の一か月後で、月を賞美し秋の実りに感謝した日本人の細やかな心を表わす季語の一つです。大豆や栗の収穫期に当たることから「豆名月」「栗名月」とも呼ばれます。気の置けない友人との会話が思い起されます。月には恋がよく似合います。万葉集で恋を詠う相聞歌は最も多く、半分以上を占めます。万葉の古人も眺めた「後の月」が物悲しくも美しく秋の夜空に浮かび、「名月」では表せない風情の感じられる一句。
(評)優れた歌人の絵姿に、その代表的な和歌や略伝を書き添えたものが「歌仙絵」。身近なところでは「小倉百人一首」でも触れることができます。恋の歌の多い歌仙絵の世界。三十一文字の割り切れない数は、詠み人の割り切れない胸中そのものです。月が無いことで、和歌の名人たちも恋の歌を詠めないでいるのでしょう。この日は陰暦八月十五日。「無月」はいわゆる中秋の名月の見えない曇り空を言います。月明かりがなければ恋する二人も出逢えないのが、歌仙絵の流行した平安朝の時代です。
(評)「名月や池をめぐりて夜もすがら」芭蕉。「名月を取ってくれろと泣く子かな」一茶。「菜の花や月は東に日は西に」蕪村。月を詠んだ名句はたくさんあり、古来より人を魅了し続けてきたことが分かります。「名月」の夜、作者が沈めたのは俳句。俳句に想いを込めたのか、それとも単に納得のいかない俳句だったのか。読み手はその気持ちを推し量るしかありませんが、月によって解き放たれた作者の心が少し見えた気がします。
(評)黄落期、寺の納経所のそばには大銀杏があるのでしょう。葉は黄金色の絨毯となり実を落します。その下で、実を拾い集めて種皮を剥ぎ、「銀杏」を取り出す作業が行われていたのでしょうか。皮を取り除くと「噎せる」ほどの強い匂いが漂います。収穫後は、焼いておつまみにしたり、茶わん蒸しや土瓶蒸しにあしらったりして秋の味覚を届けてくれます。素直にほのぼのとした景が詠まれ、秋の風物詩として古くから伝わってきた温かい光景が浮かびます。
(評)正岡子規は、俳諧を俳句として現代に残しました。ベースボールを野球と解したアイデアマンでもありました。「獺祭忌」は、明治35年9月19日、34歳でこの世を去った子規の忌日です。「獺」はカワウソのこと、獺祭とは獲ってきた魚を食べる前に岸に並べるカワウソの習性を言ったもの、それが転じて、詩文を書くときに書籍を身辺に並べ立てる様を言います。古書店に所狭しと置かれた本。措辞との配合は、秋の時候など沢山あったのでしょうが「獺祭忌」が何よりも相応しいと感じられる一句です。
(評)「蟷螂」は鎌切のこと。その拝むような体型から“拝み太郎”などという傍題もあって楽しい季語の一つです。「ゆれて譲らぬ」という蟷螂の特徴をよく捉えた一物仕立ての一句。何にでも向かっていく気の強さが出ています。敵と見做すものには体を起こし、鎌状の前肢を振りかざして威嚇のポーズを取り、向かっていく様を捉えました。一物仕立ては他の事物と取り合わせずに、一つの素材でまとめる作句法。ありきたりな句に陥りやすく掲句のような佳句を生み出すのは難しいものです。
(評)「和三盆」は徳島や香川の名産で、上品な甘さが特徴です。竹糖と呼ばれる柔らかい細かな結晶を、そのまま型に入れて押し固めた干菓子です。高級感のある風味をゆっくりと味わっているのでしょう。「ほろほろ」がその口溶けを上手く表現しています。取り合わせは「鳳仙花」。「ほ」の音がリフレインされ、さらにまろやかさが広がります。鳳仙花は「つまべに」とも呼ばれ、女児が花の汁で爪を染める遊びがあったそうです。回想句なのかも知れません。
(評)蛇は春の彼岸に穴を出て、秋の彼岸に穴に入ると言われます。寒くなると冬眠の準備をして穴に入りますが、中には秋の彼岸を過ぎても穴に入らず野山を徘徊するものがいます。「穴惑」と言います。作者が見た蛇は「蒼き腹」、「小さき」とまだ冬眠に十分な餌を体内に貯えられていないのでしょうか。それとも、冬眠が初めての若い蛇で、もう少し外で遊んでいたいのでしょうか。観察眼がよく効いていて、作者の優しさにも触れることができます。のんびりとした日本の里山の風景の浮かぶ俳諧味のある秀作。
佳作

(評)九月尽というのは、陰暦九月晦日のことを言います。陽暦にすると11月初旬にあたり、2021年では11月4日が陰暦9月30日でした。陰暦では、7月、8月、9月を秋としますので、九月尽という季語には、秋を惜しむ気持ちと暮秋の感慨がうかがわれます。掲句では、カフスと九月尽の取り合わせの新鮮さがあります。日頃からカフスを使われているビジネスパーソンか、フォーマルな会に出席するのにカフスシャツを着用される場面なのでしょう。袖口を留めるときに、糊のつよさを感じたという細やかな発見と着想がこの句の眼目であり、袖口のかたい触感は暮秋の肌寒さに通じているのでしょう。生活のなかで季感を発見したすぐれた作品です。