HAIKU日本大賞2020夏の写真俳句 発表
2020夏の写真俳句大賞
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(評)人は、人生という海に投げ込まれ、その波に飲まれ、圧倒される時もあるでしょう。美しいだけではなく、その裏にあるものを写真と俳句で掛け合わせた良句といえるでしょう。渦巻くひまわりを前面に大きく持ってきた写真が、句とうまく寄り添っています。
次点
(評)作者は、なぜこの波紋を恋と考えたのでしょう。とはいえそれも不思議ではないほど、水馬の描く波紋を美しくとらえています。何気ない風景の中に題材を見つけ、それを写真俳句にするお手本ともいえるでしょう。
(評)電話やオンラインなど、現代は便利になりました。けれど直接会うことの喜びに勝てるものではないでしょう。写真からも俳句からも、雲を飛び石にして、軽やかに楽しげに帰郷する様子が浮かびます。コロナ禍で帰郷もままならないこのご時勢だからこその寂しさと、この事態が早く収束してほしいという祈りが伝わってきます。
<秀逸賞>
風を聴き今年を諮る青蛙
宮城県仙台市 繁泉祐幸
(評)背景をぼかしてフォーカスした「青蛙」が何ともリアル。「今年を諮る」とは上手くいったものです。蛙が諮るとしたら梅雨の行方などでしょうか。作者の俳諧味のある俳句的感性に思わず微笑んでしまいます。
デデッポッポ夏の悲しき野鳩かな
山形県米沢市 山口雀昭
(評)声はすれども姿は見えず、「デデッポッポ」と歌うのがキジバトで、グルグル喋るのがドバトです。キジバトの夏の繁殖期の鳴き声は低音でよく響き、作者には悲しい鳴き声のように届きました。万緑の中の一本道が物語の中へ詠み手を連れて行ってくれるようです。
散り終えて命引き継ぐハチスなり
東京都荒川区 涌井哲夫
(評)花が終わると蜂の巣のような形の花托に種が育ちます。「ハチス」と呼ばれる所以です。蓮の花は四日目には散ってしまうとされる儚い美しさ。極楽に咲く花としても描かれ、「命」を繋いでいくことを詠み込んだ一句と写真とがお互いを深め合っています。
朝凪の秘めたる想い須磨の海
東京都町田市 織辺千情
(評)「須磨の海」は古くから和歌に詠まれ、芭蕉が詠み、蕪村が詠み、子規が詠んだ海。「秘めたる想い」の措辞は、光源氏の愛した「明石の君」を連想させます。「須磨の海」の朝焼けに幽玄の世界へと導かれます。「秘めたる想い」が千年の歴史を越えて「朝凪」の中に高まります。
水無月や生けては眺め夜が更ける
東京都武蔵野市 尾魚小僧
(評)「水無月」は陰暦の六月。暑さが続いて水の枯れた月のことです。「生けては眺め」と詠みながら、写真は形の違ったガラスの花瓶を高さの順に捉えています。ガラスの質感はシンプルでカッコ良く、作者にとっては造形美を堪能しながら「夜が更ける」至極の時間です。
珍客ははぐれ雀よバルコニー
神奈川県厚木市 折原ますみ
(評)風通しの良いバルコニーは絶好の涼み場所。「はぐれ雀」はまだ幼く何とも愛くるしい姿です。作者を見つめて逃げないところを見ると、この「珍客」はすっかり作者に安心しているようです。作者とはぐれ雀の距離感に癒される心温まる写真俳句です。
泥水の上澄みに咲く蓮の花
富山県射水市 中村理起子
(評)蓮はスイレン科に属する多年草です。水草として成長する「蓮の花」は、泥水の中に育ち可憐な花を咲かせます。衆生が現世にもまれて育つかのようで、「上澄みに咲く」の客観写生が珠玉な作品。
ドライブはこの曲といふ今朝の夏
岐阜県岐阜市 鈴木白湯
(評)「今朝の夏」は立夏の日の朝のこと。新たに巡ってきた季節への喜びが感じられる季語です。ときめき迄もが伝わってくるのは、恋人とのドライブを連想させるからでしょうか。ワクワクした感覚と遠出の朝の光景が、夏の始まりに相応しい写真俳句となっています。
無為自然描くはダリか青嵐
静岡県熱海市 歩人
(評)「青嵐」が描いた何とも不思議で美しい模様。空の青と船体の白が溶け込んだのでしょうか。跳ねた髭がトレードマークの奇才・ダリの絵にも似て奇抜で幻想的です。「無為自然」は作為がないこと。風が気ままに描いた世界の持つ芸術性に引き込まれます。
夏薊優しいふりはいらない
兵庫県西宮市 幸野蒲公英
(評)心情を「夏薊」に託して詠んだ一句。紅紫の優しい花を付けますが、葉の棘に刺されることがあります。「いらない」と言い切った四文字に強い意志が見えます。平易な日常語でこうキッパリとはなかなか断定できないもの。この強さの一方で、裏側には人間の弱さのようなものも見え隠れします。
ポピー畑嬉しきことの二つ三つ
奈良県奈良市 堀ノ内和夫
(評)「ポピー」は初夏に咲きます。赤く可愛らしい花はディズニーの世界にもよく登場します。「嬉しきことの二つ三つ」の表現が楽しくリズミカルな一句。あたかも幸せをシェアしてくれているような気分にさせてくれます。
潮目見て想いめぐらす夕端居
徳島県徳島市 今比古
(評)「夕端居」は夕方、涼しい縁側に座ってくつろぐこと。側を流れる潮入り川の潮目を見ながらの作。ほっとした時間の流れる中、写真の少年の横顔が哀愁を感じさせます。川面に映るのは少年自身の姿でしょうか。何を「想いめぐらす」のか聞いてみたくなります。
青梅雨に病める巨木の吐息かな
徳島県徳島市 高嶋麻生
(評)「青梅雨」は青葉の頃のしとしととした雨です。ご神木であるかのような神社の境内の堂々とした樟。「病める巨木」は青葉ごと枝を切り込まれ無残な姿です。作者の胸中が、擬人法で詠まれた「吐息かな」に凝縮されています。季語「青梅雨」だからこそ「病める巨木」との対比が一層生きてきます。
炎昼や電話の糸の乱れたる
徳島県徳島市 山之口卜一
(評)何処の街並みなのか、メルヘンの世界に迷い込んだような印象的な絵です。糸電話の糸は乱れていても、糸は空中の一本の線でしっかりと繋がって見えます。ペイントの絵のアレゴリーと文語で詠んだ句のアンバランス感が、この作品の最上の持ち味となっています。
<佳作>
※俳号で応募された方は、原則として俳号で掲載させて頂いております。