古来、四国は様々な修行の場でありました。弘法大師さまも度々この地で修業され、四十二歳のとき四国八十八か所霊場を開創されたと伝えられています。
弘法大師さまの御跡である札所を煩悩の消滅を祈願しながら巡礼することが遍路です。その行程は一四〇〇キロ余りの長旅で徒歩なら四十〜六十日かかると言われています。
大崎紀夫(やぶれ傘主宰)選
(評)「馬の背越え」という言葉があります。尾根の狭い道をゆく、ということで、この句の中七は険しい山道をいっているのでしょう。遍路道には、平坦な道もあれば険しい道もあり、この句からは、海の眺められる難所をゆく遍路の姿を彷彿とさせるものがあります。
(評)草木や水や石にも仏の心が宿っている。つまり万物に仏の心が宿っているという思いを理解すれば、この句はすっと入ってきます。自然に随順するお遍路さんの姿に、ほっとしたものを感じさせる秀句。
(評)「黒髪堂」というのは、女性の黒髪を奉納したお堂でしょうか。札所にあるそのお堂をかがむように覗き込んでいる姿がよく見える句です。季語もよく効いていて、調べもよく、文句のない一句だと思います。
(評)八十八ヵ所を歩き終わったときの、ほっとした気持ち、爽快な気分が伝わってくるのです。「冷し飴」がちょっと古い感じがしましたが、結願寺やその辺りでは売っているのかもしれません。ともかく気分のいい一句です。
(評)句またがりを使った切れのいい句です。「海」のリフレインもいいですね。「海あれば海の遠くを」にお遍路さんの心のありようが見えてくるかもしれません。あるいは「西国浄土」を望んでいるのかも。
(評)「秋遍路」ですからこの「日溜り」は秋の日溜りです。どこかのびやかで明るい日溜り。そこに、それほど大きくない大小の石がある。それに目をとめたお遍路さんの、のびやかな心持ちが伝わってきます。
(評)歩き遍路が釣り人に地図をひろげて、札所への道、あるいは行くべきところを教えてもらっているのでしょう。地の人と遍路する人とのちょっとした出会いの景が、なにか懐かしい景のように見えてきます。
(評)楽しい句です。道ばたのたんぽぽはすでに絮を飛ばすころになっていて、春ランマンというところでしょう。そんなたんぽぽを眺めながら歩いていると、前の方に札所が見えた、という、作者のおおおらかな気分が感じられます。
(評)「空澄む」という秋の季語がありますが、その澄んだ空を「空海の空」として眺めているという句です。土佐の室戸岬には空海が籠って修行したという御厨人窟がありますが、そのあたりで眺めた空だと想像すると、この「秋遍路」はそこでお大師さまに出会ったとも想像されて、この空の青さが懐かしいものに思われます。
入選
鹿又英一(蛮主宰)選
(評)この句の二人とは、作者と弘法大師のことである。これを「同行二人」といい、お遍路さんは常に弘法大師と一緒という意味である。そして、弘法大師は遍路杖に宿り、常にお遍路さんを守っているのである。掲句、冬の遍路旅の心細さも弘法大師が一緒にいてくれているということを落葉の音で気づき安心したというのである。数詞の使用はなかなか難しいが暗喩(メタファー)にすることにより抒情性を表出した。音を聞かせたのも上手い。
(評)俳句は短く、大きな世界はなかなか詠めない。では大きな世界を表すにはどうしたらよいかというと、対象の具体的な一点に集中して詠むと極小が逆に極大に広がるのである。掲句、何も難しいことを言っておらず、説明も報告もせず、ただただ脚絆の「乾いた泥」という一点に着目して単純化し、俳句の身の丈に合うように省略と整理に徹したのである。それによって、遍路旅の苦労や道の長さ、四国の広さまで普遍的に表出できたのである。
(評)「接待」とは、お遍路さんに無償で食べ物や飲み物を施すことをいう。過酷な旅をするお遍路さんを応援するという文化が、長い遍路の歴史の中で四国の人たちに生まれたのである。そして、お遍路さんを応援することがお遍路さんを通して弘法大師に対するお供えにもなるというすばらしい考え方にもなった。掲句、接待への感謝の心が中七の措辞でよく解るし、同行の弘法大師へのお供えに対する感謝の気持ちをも表して納得できるのである。
(評)大窪寺は言わずと知れた、八十八ケ所結願の霊場である。弘法大師が唐の恵果阿闍梨より授かり日本へ伝えた印度の錫杖を納めて結願の地と定めた由緒ある寺である。掲句、八十八歳を記念して八十八ケ所を回る米寿遍路の方を詠まれたのであろう。願いを込めながら札所を回る長い旅を終え、願いを結ぶ大窪寺に辿り着いた満足感が「米寿の笑顔」という措辞により良く見えるのである。「緑陰」の斡旋も良い。涼しさはなによりの接待である。
(評)俳句というものは花鳥風月や目に心地よい物だけを詠んでいるわけにもいかぬ。この遍路という崇高な行為にも負の側面があることも事実である。この句、「職業遍路」、「ホームレス遍路」を詠んでいるのである。四国には「お遍路は誰でも受け入れる」というありがたい接待文化があるが、それを逆手に取り、リヤカーやカートを引いて一年中歩き回り、接待を受けて食い繋ぐ者がいる。掲句、そういう見たくない所に目を向けた批評性が良い。
(評)十二番札所焼山寺へ行くには、お遍路最大の難所と言われる「遍路ころがし」を十一番札所藤井寺から約六時間かけ、山を二つ超えて標高七百メートル地点まで登らなくてはならない。樹齢五百年以上の杉の巨木に囲まれた参道と境内は盛夏にはさぞかし蝉の声が煩いところであろう。掲句、「大樹がみな蝉になる」という措辞が上手い。これは換喩(メトニミー)というレトリックで、これにより省略を効かせ音も聞かせて読者を納得させた。
(評)人間には八十八の煩悩があるとされ、八十八ケ所の霊場を巡ることにより煩悩が一つ一つ消え願いが叶うとされる。ところが結願寺の大窪寺に着いたのに煩悩が残っているというのだ。これは残念なことだが人間だからそういうこともあるだろう。作者は正直な人である。掲句、山茶花が効いている。パラパラと散る山茶花であるが、どうしたものか、しぶとく散らない花びらが残ったりする。季語の連想性を使ってユーモアのある句にした。
(評)御詠歌は平安時代から続く宗教的伝統芸能で、仏教の教えを和歌に託して人々に伝えるものである。宗派によってその旋律はいろいろ違いがあるが、鈴を振りながら歌う哀調を帯びた歌は独特の雰囲気がある。掲句、歌う者も寺も霧に隠されて声だけが聞こえるという神秘的な世界が良く見える。声を聞かせて聴覚を働かせたことにより景色に奥行きが出た。失敗しがちなオノマトペも「声を覆う」という意外な使い方により成功したのである。
(評)「発心」とは、八十八ケ所霊場の巡礼を志すこと。その巡り方に決まりはないが、一番から順に巡る「順打ち」と呼ばれる巡り方が一般的である。全行程一、四〇〇キロ余りの長い旅路の始まりとなる徳島県は発心の道場と呼ばれ、二十三ケ所の霊場がある。掲句、同行二人の遍路の初日、一番札所の霊山寺から九番、十番札所辺りまで行かれたのであろうか。その発心の一日を無事に終えた安心感が「星涼し」の斡旋でよくわかるのである。
入選
西池冬扇(ひまわり主宰)選
(評)「結願」というのは八十八か所をまわり終わる事。このごろではまわり終わって一番寺にお礼参りをして「結願」というようだ。句は達成したぞという気持ちが「一気飲み」という言葉にうまく表現されている。
(評)「遍路杖」は、杖の上に五輪の塔を彫りこんであり皆大事にする。宿についたらまず先端を浄め床の間に置くのがマナーである。句は一日の行程を終えたあとの安堵感と遍路旅にある心の持ちようが伝わってくる。
(評)万物に感謝する遍路の心が良くあらわされている句。「憩ふべき」という表現が少し硬いが景は浮かぶ。
(評)「脚絆」は見かけることが少なくなったが、昔からの足を固める旅装束。徒歩遍路の旅の様子がしのばれる。
(評)結願のあとのほどけた緊張感が伝わる。「日向ぼこ」という言葉にその時の気持ちと季節感が的確に示される。
(評)遍路道に住まう人の句であろう。落ち葉を掃き、道を浄めるのもお接待の一つであろう。
(評)現代ならではの遍路風景。通常のバス客と見ることもできるが、バス車中は遍路ツアーの人とみたい。
(評)「沈下橋」というのは四国に多い、増水時には水面下に没する橋のこと。橋にこしかけての月見も風流。
(評)結願日の朝の出立時の高ぶる気持ちを素直に表した。かくも目標を達成するというのは気分の良いものなのであろう。
入選
神野 喜美女(HAIKU日本理事長)選
(評)何故生きるのか。何故生まれて来たのか。お大師様は、煩悩を捨て安らぎの境地を目指そうと呼びかけています。四国遍路は、涅槃への思いを胸にお大師様と共に歩む旅なのです。「憩ふべき石」に宿る仏様への思いを込めての「一礼」。万物に感謝するお遍路さんの心がよく表されています。お遍路さんの何気ない動作のひとつから、ほのぼのとした気持ちにさせられます。一礼しひと休みする白装束の姿が浮かびます。
(評)この句は“軽み”がとてもよく効いている一方で、作者自身の人生とも重なっているのでしょう。深い一句となっています。悲しみを背負いながらも現生を淡々と生きるお遍路さんの姿でしょうか。癒しと救いを求めて旅します。「西から流れて来たといふ」の措辞が、草や木の生命力が溢れているという季語「万緑」と響き合います。
(評)夏の強い日射しから守り続けてくれた菅笠と一歩一歩の歩みを助けてくれた杖を休ませる作者。自分を守ってくれた父や母やさまざまな人達を思っている時なのかもしれません。波の打ち寄せが激しい磯の前、荒磯(ありそ)で休息しているお遍路さん。「菅笠と杖」に対する感謝の気持ちが淡々とした句の中に読み取れます。延々と歩き続けて疲弊した心身への労りも滲み出ています。
(評)上五の「りんりんと」は杖の持鈴の音と、星の輝くさま「燐々と」の両方を思わせます。お遍路さんが鈴の音と共に空を見上げると春の星座が今も昔と変わりなくそこに広がります。歩み続けた一日の終わり。お大師様を身近に感じたのでしょう。澄んだ音色が作者の心境を諷詠しています。奇しくもその日は、三月二十一日の「空海忌」です。
(評)春は大気中に水蒸気が多いので、すべてがぼんやりと見えます。昼間は「霞」と呼び、夜は「朧」と呼びます。昼は霞の中を歩き、夜は朧月を見上げながら歩いて三日。やっと山門にたどり着いたという一句。下五の“て止め”が話の続きを読者に預けます。甘い抒情が広がりながらも、お遍路さんの苦労が偲ばれます。
(評)仏教には「魂魄(こんぱく)」の概念があります。魂のエネルギーは生き続け、形を司る魄は残されます。生きることは「魂を絞りて」の表現によって言い尽くされたかのようです。思わず口から飛び出したような一句は、観念語といわれそうな「魂」や「命」までを下五が受けて、大切なものを扱うときの気息まで伝わってきます。「冴返る」は、春になって暖かくなってきたなと喜んだのも束の間、寒さがぶり返してくる事をいう春の季語ですが、人の生き様にも似ていますね。
(評)「定命」とは、仏教でいう生まれ落ちる前に定められた寿命のことです。「定命ととりなす日」とは、訪れる死を悟ったのでしょう。侘しく寂しい「冬の庭」は作者の胸中に他ならず、自身の孤影の象徴であるかのようです。「定命」と「冬の庭」の取り合わせが、一句に重厚さを醸しています。
(評)「夏草や」とくれば芭蕉。「兵どのが夢の跡」と続けたくなります。無常感を読者に放り投げて寄こしたような一句。人間も自然も、そして人工物もすべては儚いものです。諸々の背景を省略して「缶の口」をクローズアップさせた作者。「夏草や」に寂寞と無常が漂います。俳聖・芭蕉翁と同じように過酷な旅を続ける作者が書き留めた一句に感服です。
(評)特に阿波は、遍路の無名墓が多いと言われ、路傍の自然石ひとつの墓はさらに侘しい。現在の遍路もそれらを見ると気持ちをもう一度引き締めるに違いありません。徒遍路にとっての試練は至る所にあります。一番札所のある阿波路は、まだスタートしたばかりです。遍路という旅をする覚悟が伝わってきて、一語一語に説得力があります。
入選
(評)推量の助動詞「べき」を使って「憩ふべき」と軽めの詠嘆で入り、ほのぼのとしたユーモア感もある一句。また、中七を「一礼」で止めず下五への句跨りにしたことで、動作がクローズアップされ読者にそのシーンを鮮明に描かせます。「憩ふべき石」に宿る仏様への思いを込めての「一礼」。万物に命があり、そこに仏の心が宿っていると信じているのが脈々と続く日本人の心なのです。お遍路さんの何気ない動作のひとつから深い感謝の気持ちが伝わってきて、日本人の麗しい心が見て取れます。